2008年06月29日

京都の路地裏で「番外編」・金戒光明寺方丈

金戒光明寺の方丈は、もともと一般公開している建物ではありませんでしたが、宗祖法然上人800年大遠忌を記念して「紫雲の庭」(リンク先pdfファイルにつき要注意)が作庭されて以来、毎年5月の連休中と11月に期限を定めて公開するようになっています。

今回、方丈と紫雲の庭を見ることができましたので、紹介する次第です。


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2008年05月25日

京都の路地裏で:建仁寺両足院

「京都の路地裏で」も、とうとう80回を数えてしまいました。
その80回目は建仁寺両足院(りょうそくいん)を取り上げます。

両足院は、建仁寺第35世龍山徳見禅師を開山として創建された建仁寺の塔頭で、創建当初は「知足院」という名前でした。
それが天文年間の火災の後、知足院の別院だった両足院と併合して両足院と称するようになりました。この改称には、当時の天皇・後奈良天皇の名「知仁」を避けるためだったという説があります。

開山の龍山徳見禅師は変わった経歴を持っており、円覚寺で一山一寧についたあと、一山一寧の勧めで中国(当時は元王朝)へ渡り、一時は監禁の身になるなどの苦労を重ね、最後は元王朝から官寺の住持に任命され、また、中国で途絶しそうになっていた臨済宗黄龍派を復興させるまでに至りました。その後、在元40年にして帰国し、建仁寺、南禅寺、天龍寺の住持を歴任しました。

両足院は、饅頭の祖である林淨因と深い関係がありますが、これは龍山徳見禅師が帰国する際、禅師の弟子だった林淨因が、禅師を慕って日本までついてきたことによります。彼は奈良で饅頭を売り出し、彼の子孫が帰化して林家が続いたことで、現在の塩瀬総本家につながっています(塩瀬の歴史もご参照願います)。
林家からは(知足院との併合前の)両足院創建の文林寿郁(林淨因の曾孫)を始めとして、両足院の住持を輩出しています。

その後も両足院は建仁寺住持や、対馬にあって朝鮮との外交に当たった寺院「以酊菴」へ輪住した和尚を輩出するなど、建仁寺の中心寺院としての役割を果たして現在に至っています。


両足院には、江戸時代に作庭された3つの庭園と、それらとは別に坪庭があり、それぞれについて見ていきたいと思います。


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タグ:京都
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2008年04月13日

若年寄の諸国で侘び寂び:清見寺

全国展開の四回目は、かつて清見関が置かれた興津の地にある古刹、清見寺(せいけんじ)を取り上げます。

清見寺は、東北の蝦夷に備えるために設けられた関所「清見関(きよみがせき)」の傍らに、関所の鎮護として設けられた仏堂が始まりとされています。

鎌倉時代には聖一国師(東福寺開山)の弟子・関聖上人が清見寺を再興し、1262年(弘長2年)に聖一国師を大導師として招いて諸堂の落成式を行ったとのことです。その後、足利尊氏を始めとして足利氏や、当地の守護であった今川氏の庇護を受けましたが、戦国の世にあっては、清見関が置かれるほどの要害の地であることから、清見寺も戦禍に晒されること度々でした。そんな中にあって、今川義元の最高顧問であった太原雪斎が清見寺を再興し、自身が修行した妙心寺の末寺として清見寺第一世となっています。

その後、江戸時代に入って徳川家康が清見寺第三世・大輝和尚に帰依したこともあり、清見寺は江戸幕府の庇護を受けて伽藍修理などを行い、現在の伽藍を残しています。

清見寺は、名勝に指定されている庭園の他、伽藍なども見所がありますので、それぞれを見ていきたいと思います。


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タグ:静岡
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2008年03月11日

京都の路地裏で「番外編」・相国寺開山堂

前回も「京の冬の旅」特別拝観で行った東寺小子房を取り上げたわけですが、今回も「京の冬の旅」で行った相国寺開山堂を取り上げます。

相国寺の開山堂は「開山塔」とも「一名円明塔」ともいいますが、いずれにしても相国寺の開山である夢窓疎石を祀るものとなっています(たとえ「追請開山」だとしても)。
建物自体は1807年(文化4年)に恭礼門院(桃園天皇皇后)の旧殿を下賜されたもので、特に注目すべきは円山応挙の杉戸絵ではないかと思います。特に小犬の絵は圧巻だと思います。


通常、開山堂そのものに前庭を造るのは一般的ではないに思われますが(例外として東福寺開山堂・普門院庭園や酬恩庵開山堂庭園など)、相国寺の開山堂は、単に庭園があるというだけでなく、その庭は珍しい「枯山水と池泉式の融合庭園」であり、こちらで取り上げるに相応しいものだと感じた次第です。


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タグ:京都
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2008年02月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:柴屋寺

全国展開の三回目は、東海道の丸子(まりこ)宿に程近い閑居の寺、柴屋寺(さいおくじ)を取り上げます。

柴屋寺は、吐月峰(とげっぽう)柴屋寺とも呼ばれる寺で、1504年(永正元年)に連歌師の柴屋軒宗長が草庵を結んだのが始まりとされています。
柴屋寺の寺伝によれば、宗長が草庵を結ぶ以前、この地は駿府の外城の一つ、丸子城があり、後の駿河今川家当主・今川氏親がこの地にあって難を避けており、宗長も丸子城に滞在していたと伝えられています。

宗長は、もともと京都で宗祇に師事して連歌を学び、一休宗純に参禅して酬恩庵に住んだほどの人ですから、単なる連歌師ではなく、今川氏親に仕えて今川家の外交顧問としての働きをしたと伝わっています。
そして、今川氏親がこの草庵を寺に改め、柴屋寺にしたようです。

その後、今川家の没落とに合わせるように衰微したものの、徳川家康が朱印地を賜って堂宇を修復し、現在に至っています。

柴屋寺の庭園は宗長自身が築いたもので、慈照寺(銀閣寺)の庭園を模したものとも伝えられ、また周囲の山を巧みに取り入れた借景庭園でも知られており、国の史跡、名勝に指定されています。
この庭園を中心に、柴屋寺を紹介していきます。


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タグ:静岡
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2008年02月09日

いざ鎌倉へ:第十一回・称名寺

「いざ鎌倉へ」第十一回は、鎌倉から少し離れた金沢文庫にある称名寺(しょうみょうじ)を取り上げます。
称名寺は、所在地こそ鎌倉の域外ですが、鎌倉なくしてこの寺はありえませんので、このような形で取り上げる次第です。

称名寺は、鎌倉時代の北条氏金沢流の実質的な祖とされる金沢実時によって創建されたと伝えられています。創建年代は確かではありませんが、金沢実時の居館にあった持仏堂が起源とされています。
称名寺は北条氏の繁栄とともに発展しましたが、鎌倉幕府および北条氏の滅亡により、創建時の伽藍を次第に失っていきました。

江戸時代に入り、伽藍の復興が始まり、江戸時代後期には現在の称名寺の伽藍が揃いました。

称名寺は、浄土式の称名寺庭園を持ち、境内全体が国指定の史跡に指定された、横浜市内でも稀有の空間です。
そんな称名寺を、庭園を中心に見ていきたいと思います。


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タグ:鎌倉
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2008年01月04日

しばし、滋賀のことでも:教林坊

「滋賀のことでも」第三回は、安土にある石の寺、教林坊(きょうりんぼう)を取り上げます。

教林坊は、もともとは観音正寺の塔頭であり、寺伝によれば605年(推古13年)に聖徳太子によって創建されたとされています。
教林坊の「教林」の字は聖徳太子が林の中で教えを説いたことに由来し、後述の通り「太子の説法岩」と呼ばれる岩もあります。また、本尊は霊窟の中に祀られており、このようなことから「石の寺」とも呼ばれています。

庭園など、教林坊の寺観は、概ね江戸時代初期の観音正寺復興と時を同じくして整えられたようです。教林坊は白洲正子氏の「かくれ里」で取り上げられていて、この本が出版された当初(1971年)あたりまでは、文字通りの「かくれ里 石の寺」だったのではないかと思われます。

ただ、近年は一度、無住の寺となって荒れ果ててしまい、寺全体が竹やぶで覆われるような形になってしまいました。それに対して本山から任命される形で教林坊に入った現住職が、最終的には天台宗の本山所属の僧侶の地位を擲って(退職金などを使って)、現在のような形に整備して現在にいます。

教林坊は、伝小堀遠州作の庭園が名高く、この庭園を中心に紹介したいと思います。


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タグ:滋賀
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2007年12月18日

若年寄の諸国で侘び寂び:恵林寺

全国展開の第二回目は、夢窓疎石作庭の庭園を持ち、武田信玄の菩提寺ともなっている臨済宗妙心寺派の古刹、恵林寺(えりんじ)を取り上げます。

恵林寺は、1330年(元徳2年)に、当時の甲斐牧ノ庄の地頭職・二階堂出羽守貞藤(道薀)が、夢窓疎石を招いて自らの屋敷を禅院に改めたのが始まりとされています。

当初は鎌倉・円覚寺の末寺であり、関東準十刹の寺格を持っていたようですが、後に妙心寺の末寺となっています。
戦国時代には武田信玄が快川紹喜を招き、信玄が恵林寺に寺領を寄進したことで寺勢が高まりました。ところが、武田氏滅亡の後、恵林寺がかくまっていた者の引渡しを拒んだため、織田信忠の軍勢の焼き討ちに遭ってしまいました。

後に徳川家康によって快川和尚の法嗣となる末宗和尚が招かれて再興され、江戸時代には甲府藩主となった柳沢吉保によって寺の修復が行われています。
1905年(明治38年)の火事により本堂と庫裡を失いましたが、再建されて現在に至っています。


恵林寺は、夢窓疎石作庭の庭を残すとされていますので、その庭を中心に、幅広く紹介したいと思います。


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タグ:山梨
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2007年12月02日

若年寄の諸国で侘び寂び:宗隣寺

全国展開の第一回目は、山口県最古の庭園「龍心庭」を持つ、宗隣寺(そうりんじ)を取り上げます。

宗隣寺は、宇部の領主であった長州藩の家老・福原広俊が、1670年(寛文10年)、父・元俊の菩提を弔うために、普済寺(ふさいじ)の跡地に建てたものです。
福原氏は毛利氏の一族で、関ヶ原の戦いの結果毛利氏が大幅な減封を受けて萩に移転した後の1625年(寛永2年)に、福原元俊が厚狭郡宇部村など8000石を領有するようになりました。以後、福原氏は毛利氏の永代家老を兼ねつつ、宇部を幕末まで治めることとなりました(宇部市教育委員会のページより)。

普済寺は777年(宝亀8年)に唐より日本にやってきた為光和尚(威光和尚とも)によって創建された寺ですが、当時どのような宗派だったかなどは(当時はあまり宗派の概念がなかったこともあってか)判っていないようです。
後に禅宗となり(現在大阪・鶴満寺にある梵鐘が普済寺に寄贈された際、『宇部郷松江山普済禅寺』の追銘がされているとのこと(宇部観光コンベンション協会のページより))、さらに後には荒廃したようです。

宗隣寺は江戸時代に入ってからの建立ですが、庭園「龍心庭」は普済寺時代に造られたもので、山口県内最古の庭園とされています。
この庭を中心に、宗隣寺について書いてみたいと思います。


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タグ:山口
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2007年11月12日

京都の路地裏で:妙覚寺

「京都の路地裏で」79回目は、妙覚寺(みょうかくじ)を取り上げます。

妙覚寺は、山号を具足山といい、妙顕寺立本寺とともに三具足山と呼ばれています。
具足山という山号に共通される各寺はすべて日像上人が開山とされていますが、妙覚寺は実際には竜華院日実上人(立本寺の実質的な開山)によって創建されたようです。日実上人の院号「竜華院」から、北竜華とも呼ばれています。
立本寺も日実上人による関与があり(実質的な開山)、妙顕寺、妙覚寺ともども四条大宮が始まりの地とされていますので、当初より三具足山は近しい関係にあったことが間違いなさそうです。

その後、二条衣棚に移り、その地で他の京都にある日蓮宗の寺院と同じく天文法華の乱に遭い、焼失して堺に逃れています。
織田信長の頃には信長の宿舎の一つとなっていたようですが、本能寺の変で焼けたと伝えられています。
他の寺院ともども、豊臣秀吉の聚楽第造営にあたって現在地に移りました。天明の大火によって大門以外は焼けてしまい、伽藍を再築して現在に至っています。

妙覚寺は庭園「法姿園」が素晴らしく、この庭園を中心に紹介したいと思います。


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タグ:京都
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