2009年05月31日

若年寄の諸国で侘び寂び:光久寺

全国展開の八回目は、富山県の名勝に指定された庭園を持つ光久寺(こうきゅうじ)を取り上げます。

光久寺は、当初は現在地からやや離れた仏生寺にあって、奈良の長谷寺の国分寺として創建されたと伝わっています。
創建当初は真言宗、あるいは密教系の寺院だったようですが、1343年(康永2年)に当時の領主・狩野中務の帰依を受けて浄土真宗に改められ、現在に至っています。

光久寺はその庭園、「光久寺の茶庭」で有名ですので、この庭園を中心にみていきたいと思います。


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ラベル:富山
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2009年03月29日

京都の路地裏で「番外編」・妙光寺

今回の「番外編」は、2009年の「京の冬の旅」で特別公開されてた妙光寺(みょうこうじ)を取り上げます。

妙光寺は、1285年(弘安8年)に覚心禅師を開山として創建されました。妙光寺は、南北朝時代に二度、三種の神器が置かれたことがあり、今でも復興された「神器の間」を持っていて、南朝の勅願寺に指定されたこともあります。
また、覚心禅師は虚無僧で有名な普化宗(現在は宗派としては存在しない)を伝えたことでも知られ、禅師が居とした興国寺(和歌山県日高郡由良町)は普化宗の本山としての役割もありました。

応仁の乱に巻き込まれて一度は荒廃しましたが、江戸時代に入って豪商・宇它公軌によって再興されました。その後、幕末に勤皇の拠点となったため、新撰組から焼き討ちされ、さらに廃仏毀釈とその後の風水害が追い討ちをかけて、完全に荒廃してしまいました。

近年になって、妙光寺の本山で、もともと風神雷神図(当初は妙光寺に収められたものが、後に建仁寺に移った)で強い縁のあった建仁寺が、妙光寺の再興に乗り出して現在に至っています。


妙光寺には、近年の再興時に造られた庭園がありますので、それを見ていきたいと思います。


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ラベル:京都
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2009年02月08日

京都の路地裏で「番外編」・妙心寺衡梅院

今回の「番外編」は、2009年の「京の冬の旅」で特別公開されている妙心寺衡梅院(こうばいいん)を取り上げます。

衡梅院は、1480年(文明12年)に、時の室町幕府管領・細川政元を開基として創建されました。開山は妙心寺第九世の雪江宗深です。
雪江禅師は、現在の妙心寺四派(龍泉派、東海派、霊雲派、聖沢派)の開祖となった弟子を育て、また妙心寺に厳格な会計制度を導入したことから、妙心寺の中興の祖とも呼ばれています。特に、妙心寺四派の開祖を育てたことから衡梅院は「四河一源の寺」と呼ばれ、また衡梅院庭園が「四河一源の庭」と呼ばれる由来ともなっています。

その後、衡梅院は衰微しますが、江戸時代に入ってすぐに方丈が再建されて現在に至っています。

衡梅院は、庭園以外にも障壁画等も見所ですが、庭園に絞って見ていきたいと思います。



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ラベル:京都
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2009年01月17日

題名未定・奈良のお話:第十話・法華寺

「奈良のお話」の10回目は、法華寺(ほっけじ)を取り上げます。

法華寺は、別称・法華滅罪寺ともいい、745年(天平17年)光明皇后の旧皇居宮を寺に改めたのが起こりとされています。
その後、大和国の総国分尼寺となり、伽藍は国家事業として建設が進められました。

しかし、光明皇后は伽藍の完成をみることなく亡くなり、その後、長岡京、平安京への遷都を経て徐々に衰微し、平重衡の南都焼討ではかなりの被害を被ったようです。

復興は鎌倉時代になって、西大寺を再興した叡尊によって本格的な復興が行われましたが、その後の兵火や地震のために荒廃し、現在の姿になるのは豊臣秀頼と母・淀君の寄進による再興が行われた後ということになります。

法華寺といえば、光明皇后生き写しという伝承がある(実際には異なるようですが)秘仏の本尊(国宝・期間を限定して公開)が有名ですが、庭園も魅力的なところですので、ここで紹介したいと思います。


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ラベル:奈良
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2008年12月28日

題名未定・奈良のお話:第九話・秋篠寺

「奈良のお話」の9回目は、秋篠寺(あきしのでら)を取り上げます。

秋篠寺は、寺伝によれば、776年(宝亀7年)に光仁天皇の勅願によって創建されたと伝えられています。
この地は豪族の秋篠氏の所領であったことから、この秋篠氏の氏寺であったという説もありますが、創建の経緯は確かになっていない部分が多いようです。

伽藍が完成したのは次代の桓武天皇の頃で、以来真言密教道場として隆盛したと伝えられています。
しかし、1135年(保延元年)の兵火で講堂(現・本堂)ほかいくつかの建物を残してすべて焼けてしまい、その後江戸時代にかけて復興はあったものの、廃仏毀釈の影響を受けて寺域の大半を失ってしまい、当初の面影はあまり残らない状況で現在に至っています。

秋篠寺は、国宝本堂およびその中にある伝伎芸天像で有名ですが、参道もまた見所だと思いますので、そちらを中心に書いていきたいと思います。


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ラベル:奈良
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2008年11月16日

題名未定・奈良のお話:第八話・長岳寺

久々の「奈良のお話」ですが、8回目は天理市にある古刹、長岳寺(ちょうがくじ)を取り上げます。

寺伝によれば、長岳寺は824年(天長元年)に淳和天皇の勅願によって弘法大師が近隣にある大和神社の神宮寺として創建されたとされています。
最盛期には塔中四十八ヶ坊を数えましたが、応仁の乱をはじめ兵火に見舞われることが度々あり、豊臣秀吉に寺領を没収された後、徳川家康に朱印地を安堵されるといった波乱ある歴史をたどっています。その後、廃仏毀釈の際も危機に見舞われましたが、民間の大師信仰で何とか存続を果たし、現在では12,000坪の敷地にいくつかの文化財を残す静かな寺となっています。

長岳寺は、庭園、建物、仏像などそれぞれに見所がありますが、ここでは庭園と建物に焦点をあてていきたいと思います。


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ラベル:奈良
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2008年10月19日

若年寄の諸国で侘び寂び:大善寺

全国展開の七回目は、甲州市(旧勝沼町)にあるぶどう寺・大善寺(だいぜんじ)を取り上げます。

大善寺は、718年(養老2年)に行基によって創建されたと伝えられています。当時、行基は僧尼令違反で弾圧を受けたばかりであり、行基自身の創建とは到底思えませんが、少なくとも本尊の薬師三尊が彫られた平安初期までは遡れる古刹です。

大善寺にはぶどう発祥の伝説が伝わっており、そこにも行基の名前が出ていますが、ぶどう発祥自体が大善寺説と雨宮勘解由説の2説あってどちらも確証がないという状態です(甲州市ホームページより)

その後、大善寺は武田勝頼終焉の直前の宿泊地ともなったようですが、特に武田家滅亡の影響を受けずに鎌倉時代に建てられた薬師堂がそのまま残って現在に至っています。

大善寺にはまた、山梨県の名勝に指定された庭園もありますので、薬師堂などとあわせてみていきたいと思います。


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ラベル:山梨
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2008年09月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:摩訶耶寺

全国展開の六回目は、浜名湖の西北にある古刹、摩訶耶寺(まかやじ)を取り上げます。

摩訶耶寺の寺伝によれば、726年(神亀3年)に行基によって創建された、ということですが、行基自身がここまで来たかは別として、ここからさほど遠くない豊橋にある普門寺が翌727年(神亀4年)に創建されていることからすれば、この当時この地域では、寺を創ることが一つの流れとしてあったのかもしれません。

創建後一度現在地の近くに場所を移してから、さらに平安末期に現在地に移りました。その移転のしばらく後に作庭されたとされているのが現在の摩訶耶寺庭園です。
その後、武田氏の兵火で伽藍が焼けましたが、1632年(寛永9年)に本堂が再建されて現在に至っています。

摩訶耶寺といえばやはり庭園が随一のみどころであり、摩訶耶寺まで行ったからには庭園を存分に味わうべきだと思います。


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ラベル:静岡
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2008年08月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:粉河寺/十禅律院

全国展開の五回目は、和歌山随一の古刹、粉河寺(こかわでら)およびそれに隣接する十禅律院(じゅうぜんりついん)を取り上げます。

粉河寺は、寺伝によれば、770年(宝亀元年)に大伴孔子古(おおとものくじこ)によって開創されたとされています。大伴孔子古は猟師でしたが、山中に光を発する場所を見つけ、そこに小さな庵を営んだのが粉河寺の始まりとされています(粉河寺創建の伝承は、「粉河寺縁起絵巻(国宝)」に遺されています)。

その後、平安時代には既に栄えており、鎌倉時代には七堂伽藍が完備されましたが、豊臣秀吉の紀州侵攻の際の兵火で焼け、江戸時代にも火災に遭い、現在の伽藍は江戸時代中期以降のものです。
現在でも「西国三十三箇所観音霊場」の第三番として、あるいは粉河観音宗の総本山として発展しています。


十禅律院は、もともとは粉河寺の塔頭「十禅院」だったものが、紀州徳川家第十代・徳川治宝によって、滋賀・坂本の安楽律院の末寺になったものです。


粉河寺には、国の名勝に指定された枯山水庭園があり、十禅律院には粉河寺とは趣の異なる枯山水庭園がありますので、これらを見比べながら両寺を見ていきたいと思います。


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ラベル:和歌山
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2008年07月30日

しばし、滋賀のことでも:滋賀院門跡

久々に、滋賀のことを書きます。
第四回は、滋賀院門跡(しがいんもんぜき)を取り上げます。

滋賀院門跡は、1615年(元和元年)に京都北白川にあった法勝寺を当時の天台座主・天海に下賜する形で創建された比叡山延暦寺の本坊です。ただし、当時の法勝寺は既に西教寺に合併させられており、この「下賜」がどの程度のことを意味しているのかは判りません。ただ、法勝寺を西教寺に合併させた後陽成天皇と滋賀院門跡として法勝寺を下賜した後水尾天皇は仲が悪かったようで、そのことが「ないはずのものを下賜する」ことにつながっていたのかもしれません。

滋賀院門跡は、歴代の天台座主となった法親王の里坊(年老いた後の住居)として、「滋賀院御殿」と呼ばれるほどの発展を見せましたが、明治に入ってから火災で建物がすべて焼けてしまい、比叡山から最上級の建物を移築して再建し、現在に至っています。

滋賀院門跡には伝小堀遠州作の庭園がありますので、これを中心に見ていきたいと思います。


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posted by karesansui at 22:37| 京都 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 滋賀(湖南・大津・志賀) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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