2010年01月31日

しばし、滋賀のことでも:百済寺

1年半ぶりの「滋賀」ですが、3ヶ月にわたって湖東三山と永源寺について書いていきます。まずは、百済寺(ひゃくさいじ)を取り上げたいと思います。

百済寺は、推古天皇の時代に聖徳太子が百済人のために創建したと伝えられています。そして、当時の本尊は「太子自作の植木の観音」だったと伝えられています。
聖徳太子創建の寺というものは往々にして単なる伝説に過ぎないことが多いのですが、この寺号からは渡来人と何らかのつながりがありそうです。

百済寺は平安時代に天台宗に改められ、「湖東の小叡山」と称されるほどの規模を誇ったようですが、失火や戦火で古建築を失い、さらに織田信長の焼き討ちに遭ってすべて灰燼に帰してしまいました。

その後、堀秀政によって仮本堂が建てられ、1650年(慶安3年)に至ってようやく現在の本堂、仁王門などが完成しました。
1940年には喜見院が現在地に移転され、それに併せて庭園も移築されて現在に至ります。


百済寺は、『天下遠望の名園』と呼ばれる庭園がみどころですので、この庭園を中心に書いていきます。


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タグ:滋賀
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2009年12月06日

京都の路地裏で「番外編」・東福寺東光寺

今回の「番外編」は、2009年秋の非公開文化財特別拝観(京都古文化保存協会主催)で特別公開されていた東福寺の塔頭、東光寺(とうこうじ)を取り上げます。

東光寺は、1311年(応長元年)に無為昭元(むいしょうげん)によって開創されました。無為昭元は大智海禅師とも呼ばれ、臨済宗永源寺派開祖の寂室元光をはじめとして多数の弟子がいた、この時代きっての高僧だったようです。

その後、東光寺は一時衰微しますが、中興開山の古林智教(こりんちきょう)によって復興されました。明治元年には、長慶院(廃寺)に堂宇を譲って曹渓院と合併し、現在に至ります。

東光寺の見所は大智海禅師像などの仏像が主なのですが、撮影禁止となっています(当然ですが)。苔を主とした枯山水庭園も見応えがあり、こちらは撮影可でしたので、庭園を紹介したいと思います。


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タグ:京都
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2009年11月13日

京都の路地裏で:厭離庵

かなり久々の81回目は、秋にだけ特別拝観で公開している厭離庵(えんりあん)を取り上げます。

厭離庵は、藤原定家が住んだ山荘の旧跡であって、小倉百人一首を編纂した場所ということになっています。実際にわざわざこの地で小倉百人一首を編纂したのか、それが厭離庵の場所かは不明ですが、1772年(安永元年)に冷泉家(藤原定家の子孫)によって修復されたところから、藤原定家とこの地に何らかの所縁はあったと考えるのが自然でしょう(ちなみに、藤原定家が編纂した『小倉百人一首』は依頼主である宇都宮頼綱の『小倉山荘』から名前がついています)。

その後、明治時代には再び荒れ寺となりましたが、1910年(明治43年)に十代大村彦太郎(白木屋社長)の寄進で仏堂と庫裡が建立され、現在に至っています。

厭離庵は、境内全体が秋には赤く染まる紅葉の寺ですので、そこを中心に見ていきたいと思います。


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タグ:京都
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2009年10月25日

若年寄の諸国で侘び寂び:医光寺

全国展開の十五回目は、前回の萬福寺と同じく益田にあり、雪舟作庭とされている庭園がある医光寺(いこうじ)を取り上げます。

現在の医光寺は、1363年(正平10年)に崇観寺という名前で現在地の西に建立された寺院を始まりとしています。崇観寺は東福寺の法系、竜門士源を開山としていますが、その後は天台宗の寺となっていました。
そして、1478年(文明10年)から雪舟が益田に滞在したときは、崇観寺の住職となっています。

医光寺は崇観寺の塔頭として建立されましたが、当時の益田氏当主・益田宗兼は医光寺への保護を厚くしたことから医光寺が栄えて崇観寺が衰え、最終的には崇観寺が火災に遭ったのを期に、医光寺に合併されてしまいました。

その後、1729年(享保14年)の大火で焼けてしまい、その後建物が再建されて現在に至っています。


医光寺には、雪舟作庭と伝えられている庭園があります。
萬福寺常栄寺とは雰囲気の異なるものであり、その違いも踏まえながら、医光寺を見ていきたいと思います。


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タグ:島根
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2009年10月10日

若年寄の諸国で侘び寂び:萬福寺

全国展開の十四回目は、山口の常栄寺と同じく雪舟作庭と目されている庭園がある萬福寺(まんぷくじ)を取り上げます。

萬福寺は、平安時代に天台宗の「安福寺」として創建されたと伝わっています。
その後、1026年(万寿3年)の大津波で被災して堂宇が流失し、それを1319年(元応元年)に遊行4代呑海上人が再興したことで、時宗の寺となりました。
1374年(応安7年)には、この地を治めていた益田兼見によって現在の地へ移転され、名称も「萬福寺」に改称されました。
1478年(文明10年)、益田兼尭の招きによって雪舟がこの地を訪れ、翌1479年(文明11年)には萬福寺庭園を雪舟が作庭したとされています。
幕末には第2次長州征伐・益田口戦争の幕府方本陣となり、兵火で総門を焼失しましたが、幸いにも本堂などは無事であり、その本堂は1933年(昭和8年)に解体修理を受け、現在も移転当初の姿を見せています。

萬福寺は、前述の通り雪舟作庭の庭園と伝わる庭がありますので、これを中心にみていきます。


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タグ:島根
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2009年09月30日

若年寄の諸国で侘び寂び:常栄寺

全国展開の十三回目は、雪舟作庭と推定されている庭園を持つ常栄寺(じょうえいじ)を取り上げます。

常栄寺は、当時の周防守護・大内政弘が母の菩提を弔うために、自身の別荘を寺に改め、妙喜寺として創建されたと伝わっています。
その後、毛利氏の時代になって、毛利隆元(毛利元就の息子)の法名に因んで常栄寺と改称されました。


常栄寺には、雪舟庭と呼ばれる、室町時代の様式を色濃く残す庭園があります。この庭園を中心に、常栄寺をみていきたいと思います。


この「総三門」が、雪舟の世界への入口です。
joeiji00.jpg

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タグ:山口
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2009年08月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:毛越寺

全国展開の十二回目は、中尊寺と並ぶ平泉の古刹、毛越寺(もうつうじ)を取り上げます。

毛越寺は、慈覚大師円仁が中尊寺と同時(850年(嘉祥3年))に開山したとされています。
もっとも、中尊寺が実質的に奥州藤原氏初代の清衡が創建したといわれているのと同様、毛越寺も奥州藤原氏二代の基衡が実質的には創建されたと考えてよさそうです。
毛越寺は「吾妻鏡」によれば『堂塔40僧坊500』といわれ、発掘調査で「吾妻鏡」の記述と当時の境内の様子が一致することから、中尊寺よりも規模が大きかったことが伺えます。

しかしながら、奥州藤原氏の滅亡とその後の火災、兵火により、毛越寺の建物はほとんどなくなってしまい、1728年(享保13年)に再建された常行堂以外は、庭園がひっそりと残り、礎石が佇むだけの期間が長く過ぎていきました。

毛越寺の復興は近年で、1954年(昭和29年)からの発掘調査によってその規模などが明らかになり、続いて鐘楼や開山堂(当初は宝物館)が建てられ、1989年(平成元年)に至って、現在の本堂が再建されました。


毛越寺といえばやはり、平安時代の遺構として名高い浄土庭園です。
この浄土庭園を中心に見ていきたいと思います。


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タグ:東北
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2009年08月02日

若年寄の諸国で侘び寂び:円通院

全国展開の十一回目は、松島・瑞巌寺の隣にある円通院(えんつういん)を取り上げます。

円通院は、伊達藩(仙台藩)二代目藩主・伊達忠宗の息子、伊達光宗の菩提寺です。
伊達光宗は伊達忠宗の世子として期待されていましたが、惜しくも19歳で亡くなり、一部では光宗の優秀さを警戒した江戸幕府による毒殺説もあるほどです。
その光宗の御霊屋として1646年(正保3年)に建立されたのが「三慧殿」であり、円通院はその翌年に開創されています。

三慧殿は、支倉常長が西欧から持ち帰った様々な文明が模様として描かれているためか、鎖国の世にあってその門は閉じられ、近年まで公開されていませんでした。
その三慧殿を中心に、円通院にはいくつかの庭がありますので、それを順に取り上げてみたいと思います。


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タグ:東北
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2009年07月18日

若年寄の諸国で侘び寂び:国泰寺

全国展開の十回目は、高岡にある臨済宗国泰寺派の総本山、国泰寺(こくたいじ)を取り上げます。

国泰寺は、慈雲妙意(恵日聖光国師)によって、正安年間(1300年頃)に、現在地の南、二上山の地に「東松寺」として開創されたと伝わっています。
その後、後醍醐天皇の帰依を受け、1333年(元弘3年)に国泰寺と名を改めて、南禅寺と同格の勅願所に指定されています。
国泰寺は北朝の帰依も受けており、1345年(北朝貞和元年)には越中の安国寺に指定され、足利尊氏によって伽藍の修理や荘園の寄贈も受けました。

しかし、戦国時代に至って戦乱によって荒廃し、1546年(天文15年)に後奈良天皇の綸旨を受けて、現在地で再興されたと伝わっています。
その後、徳川綱吉によって法燈派総本山に指定され、享保年間には伽藍の大整備が行われました。
明治時代には廃仏毀釈の余波を受けましたが、山岡鉄舟の尽力もあり、伽藍の修理や再建が行われ、昭和に至ってさらに伽藍、庭園が整備されて現在に至っています。

国泰寺は北鎮第一禅刹としての顔のほうが有名ではありますが、昭和になって築造された庭園も充分に見応えあるものですので、紹介したいと思います。


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タグ:富山
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2009年06月29日

若年寄の諸国で侘び寂び:光前寺

全国展開の九回目は、早太郎伝説や桜で知られ、また、境内全体が国指定の名勝に指定されている光前寺(こうぜんじ)を取り上げます。

光前寺は、860年(貞観2年)に本聖上人によって創建された、南信州随一の古刹です。本聖上人は慈覚大師円仁の弟子と伝えられ、以後、一貫して比叡山延暦寺の末寺として現在に至っています。

早太郎伝説とは、以下のようなものです。

昔むかし、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていました。

その頃、遠州(静岡県)見付村では、田畑が荒らされないようにと毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、いけにえにとして神様にささげる人身御供という悲しい習わしがありました。

ある年、村を通りかかった旅の坊様は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見とどけようと、祭りの夜に様子をうかがっていると、大きな怪物が現れ、「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」などと言いながら娘をさらっていってしまいました。

坊様は早太郎に助けを求めようとすぐ信州へ向かい、光前寺の早太郎をさがし出すと借りて急いで見付村へと帰りました。

次の祭りの日には、早太郎が娘の身代りとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。

早太郎は傷つきながらも光前寺までたどりつくと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高くほえて息をひきとってしまいました。
(光前寺webサイトより)

このような伝説(話)は、怪物との対決があったとされる磐田市近辺にもあり、そちらでは「悉平太郎」と呼ばれているそうですが、いずれにしても同じような伝説が多く残されているのは不思議なことだと思います。


では、なぜ光前寺がこの伝説の舞台の一つとなったのかですが、それは光前寺の歴史の長さにあるのでしょう。各地で伝説になるほどの寺というものは、相応に知名度がなければなりませんし、ましてや静岡県西部にまで名前が知れているとなるとなれば尚更でしょう。
そして、光前寺全体が庭園として指定され、その中にあっても古い庭園が庭園として残っている、ということもまた、光前寺の歴史の一つというべきものと思います。

そういうわけで、ここでは特に、光前寺の庭園を中心に書いていきたいと思います。


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タグ:長野
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