2011年01月30日

若年寄の諸国で侘び寂び:大安禅寺

全国展開の19回目は、福井県の名刹、大安禅寺(だいあんぜんじ)を取り上げます。

大安禅寺は、1659年(万治2年)に時の福井藩主・松平光通により、開山に大愚宗築禅師を迎えて建立されました。
もともとこの地には奈良時代より田谷寺という寺院が存在していましたが、織田信長の越前侵攻により1574年(天正2年)に焼失し、大安禅寺はその跡地に造られたものとされています。

その後、大安禅寺は特に火に掛かるようなこともなく、また福井地震の影響もなく現在に至ったため、江戸時代初期の建物(国の重要文化財指定)を今に残す、この地では貴重な寺院となっています。
また、今では花菖蒲で著名であり、季節には周辺から参拝客が多数来るようですが、普段は山里の静かなお寺です。


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タグ:福井
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2010年11月27日

いざ鎌倉へ:第十二回・海蔵寺

久々の鎌倉ネタ、十二回目は海蔵寺(かいぞうじ)を取り上げます。

海蔵寺は、もともとは1253年に藤原仲能によって創建されたものですが、鎌倉幕府滅亡の際に焼け、今の海蔵寺となるのは1394年(応永元年)に上杉憲定の再興によるものです。
かつては一帯に塔頭を多数構えていた海蔵寺も、時代が下るとともに衰え、今では往時を偲ぶものはほとんど残っていません。

海蔵寺は、その本堂裏の庭園がなかなか見どころありますので、それを中心にみていきたいと思います。


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2010年10月24日

しばし、滋賀のことでも:永源寺

湖東三山からずいぶんと間が開いてしまいましたが、今回は永源寺について書きたいと思います。

永源寺は臨済宗永源寺派の大本山であり、1361年(康安元年)に当時の近江守護・六角氏頼により、正燈国師寂室元光を開山として開創されました。
開山当時の永源寺は、五十六坊の末庵と2000人の修行僧を抱え、応仁の乱の頃には京都五山の僧が難を逃れてやってくる大寺院でしたが、1492年(明応元年)および1563年(永禄6年)の兵火で焼失し、衰微してしまいました。

寛永年間に別峰紹印禅師やその弟子・空子和尚によって再興され、当時の高僧であった一絲文守禅師が迎えられて伽藍が整えられました。

永源寺は紅葉で名高いお寺であり、庭などとあわせて見ていくことにします。


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タグ:滋賀
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2010年09月30日

若年寄の諸国で侘び寂び:輪王寺

全国展開の18回目は、仙台・北山の古刹、輪王寺(りんのうじ)を取り上げます。

輪王寺は、1441年(嘉吉元年)に伊達家十一代持宗によって建立されました。
輪王寺は伊達家による伊達家のための寺であったため、当初は伊達家の出身地・梁川に建立されましたが、伊達家が居城を転々とさせたため、輪王寺もこれに従って所在を何度も動かすこととなり、現在の地に落ち着いたのは1602年(慶長7年)のことです。

江戸時代は伊達家の庇護の下で発展してきましたが、明治時代になり伊達家の庇護を失い、さらに1876年(明治9年)の火災で仁王門以外のすべての伽藍を失ってしまいました。
これに対し、曹洞宗の大本山・永平寺と総持寺は、1903年(明治36年)に福定無外和尚を住職に任命して復興を行わせました。福定和尚の努力により1915年(大正4年)に現在の庫裡と本堂が完成し、後に庭園の整備等が行われて現在に至っています。

輪王寺は、この辺りでは珍しい庭園が美しい寺であり、その庭園を中心に輪王寺をみていきたいと思います。


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タグ:宮城
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2010年08月22日

若年寄の諸国で侘び寂び:興禅寺

全国展開の17回目は、木曽三大寺の一つ、木曽福島の興禅寺(こうぜんじ)を取り上げます。

興禅寺は、1434年(永享6年)に、木曽信道が先祖の菩提を弔うために荒廃していた寺があった場所を改めたものです。木曽氏は木曽義仲を祖先とするような系譜がありますが、実際にはそのような血筋のつながりはなく、当初から木曽義仲の存在を念頭において興禅寺を創建したわけではないようです。

ともあれ、全山とも三度にわたる火災(昭和に入ってからですら、宿場街が全滅するほどの大火が起きています)により古い建物は残っていませんが、この地の中核をなす寺としてすぐに再興され、また、近年は庭も造られて現在に至っています。

興禅寺は、4つの庭を持ち、特に石庭として日本一の広さを持つ看雲庭はつとに有名です。
これらの庭を中心に興禅寺を見ていきたいと思います。


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タグ:長野
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2010年06月27日

しばし、滋賀のことでも:大池寺

今回は、サツキの庭園で有名な大池寺(だいちじ)を取り上げます。

大池寺を創建したのは行基と伝えられ、大池寺の周辺に灌漑用の水として心字池を造り、その真ん中に寺を建立したという伝承があります。
事の真偽は定かではありませんが、他にも金剛輪寺のような例もあり、全く無関係とも思えないところではあります。

その後、鎌倉時代に無才智翁禅師によって禅宗に改められましたが、1577年(天正5年)に織田信長の兵火によって焼かれ、復興したのは1667年(寛文7年)、丈巌慈航禅師によってとなります。当初、寺号は青蓮寺といっていたようですが、このときに今の大池寺に改められています。

大池寺は、伝小堀遠州作の庭園が有名であり、この庭を中心にみていきたいと思います。


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タグ:滋賀
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2010年05月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:定勝寺

全国展開の16回目は、木曽三大寺の一つ、大桑村の定勝寺(じょうしょうじ)を取り上げます。

定勝寺は、1430年(永享2年)に、木曽家第十一代の親豊によって創建されました。その後、2度の洪水による流失の後、1598年(慶長3年)に、当時木曽の代官を務めていた犬山城主・石川貞清によって現在の本堂などが移築されました。

1880年(明治13年)には明治天皇の行在所となり、近年は小口基實氏によって庭園が整備され、現在に至っています。


定勝寺は、その歴史ある建物と庭園のそれぞれが見所だと思いますので、それぞれ取り上げたいと思います。


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タグ:長野
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2010年04月26日

京都の路地裏で「番外編」・壬生寺

今回の「番外編」は、第44回京の冬の旅非公開文化財特別公開で特別公開されていた、壬生寺(みぶでら)を取り上げます。

壬生寺は、991年(正暦2年)に園城寺の快賢僧都によって創建されました。当初は地蔵院と称していたと伝わっています。京都では珍しい、律宗(本山:唐招提寺)の寺院です。
火災によって堂宇を焼失したものの、壬生狂言をもたらした円覚上人によって中興され、庶民の信仰を集めていました。
幕末には新撰組の本拠地となり、壬生の地名は今でもかなり有名であろうと思われます。

しかし、1962年(昭和37年)に放火によって本堂および本尊他の寺宝を失ってしまいました。本堂は再建され、本尊は唐招提寺から移されて現在に至っています。


従来、壬生寺の庭園は非公開でしたが、この特別公開で初めて公開されました(今後は機会をみて公開されるようです)。その庭園を中心に書いてみたいと思います。


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タグ:京都
posted by karesansui at 22:22| 京都 | Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

しばし、滋賀のことでも:西明寺

予告通り前回に引き続き、湖東三山の一つ、西明寺(さいみょうじ)を取り上げます。

西明寺は、834年(承和元年)に三修上人によって開創されました。
室町時代にかけての西明寺の歴史は明らかではありませんが、本堂や三重塔が鎌倉時代のものであり、その時代には既に相当の規模を持っていたことは容易に想像がつきます。

金剛輪寺や百済寺と同じく、織田信長の焼き討ちにも遭いましたが、本堂や三重塔は焼失を免れました。江戸時代になってからは、毘沙門堂門跡の公海大僧正の尽力で復興が進められ、現在に至ります。

西明寺は、庭園と建物、それぞれに魅力がありますので、順に見ていきたいと思います。


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タグ:滋賀
posted by karesansui at 19:04| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀(湖北・湖東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

しばし、滋賀のことでも:金剛輪寺

予告通り前回に引き続き、湖東三山の一つ、金剛輪寺(こんごうりんじ)を取り上げます。

金剛輪寺は、741年(天平13年)に行基によって開創されたと伝わります。行基創建の寺は実際には行基が手がけていないことも多いのですが、100年ほど下った850年(嘉祥3年)には慈覚大師円仁が入って天台宗の寺に改めたとあるので、創建年代はほぼ間違っていないのではないかと思われます。

その後、鎌倉時代に現在の本堂などが建てられました。百済寺と同じように織田信長の焼き討ちにも遭いましたが、本堂や三重塔、二天門は火災を免れ、数々の仏像とともにその姿を今に伝えています。


金剛輪寺は、桃山時代から江戸時代中期にかけて造られた庭園もありますので、本堂などと併せてみていきたいと思います。


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タグ:滋賀
posted by karesansui at 22:20| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀(湖北・湖東) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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