2006年08月19日

いざ鎌倉へ:第七回・建長寺

鎌倉ネタの第七回目は、建長寺(けんちょうじ)を取り上げます。

建長寺は、時の執権・北条時頼によって、国の興隆と北条家の菩提のために、1253年(建長5年)に建立されました。開山は南宋からの渡来僧である大覚禅師・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)です。
建長寺は、日本で最古の禅道場が置かれた当時でも珍しい純粋禅の寺で、蘭渓道隆は建仁寺を純粋な禅寺に改めるなどということもしています。

建長寺はその後、室町時代に鎌倉五山の第一位とされ、何度か火災や地震の被害などを受けたものの、江戸時代には幕府の庇護も得ることができたため(沢庵和尚の進言があったといわれています)、円覚寺やその他の鎌倉の諸寺と比べてさほど衰微することもなく現在に至っています。



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2006年07月17日

いざ鎌倉へ:第六回・円覚寺

「いざ鎌倉へ」、第六回は円覚寺(えんがくじ)を取り上げます。

円覚寺は、北条時宗によって、蒙古襲来による戦死者を敵味方関係なく弔うことを主な目的として、建長寺の住持となっていた無学祖元を開山に迎え、1282年(弘安5年)に創建されました。
その後、朝廷や幕府の庇護を受けて、鎌倉時代の末期に伽藍が整いましたが、室町時代以降は数度の大火により衰微しました。現在の円覚寺は、江戸末期に中興の大用国師(誠拙和尚)が出て山門などの伽藍の復興があって、その基礎を築かれたということになります。

円覚寺は、名前だけは良く知られるところではありますが、伽藍や庭園はほとんど知られていないところでありますので、円覚寺について幅広く書いてみたいと思います。


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2006年07月03日

いざ鎌倉へ:第五回・明月院

忘却の彼方にあったはずの鎌倉ネタをぼちぼち復活させたいと思います。
第五回は明月院(めいげついん)を取り上げます。

明月院は、1160年(永暦元年)に、山ノ内経俊が父の菩提を弔うために創建した「明月庵」がその前身となります。

その後、1256年(康元元年)に北条時頼によって、現在の明月院の西北の地に「最明寺」が建立され、さらに北条時宗によって「禅興寺」として再興されます。
時が下って1380年(康暦2年)、関東公方足利氏満が関東管領上杉憲方に禅興寺の中興を命じ、それによって伽藍の拡大、寺域の拡張と、支院の設置が行われました。
この際、明月庵は「明月院」と名を変えて禅興寺の支院の首位におかれました。
明治初年に禅興寺は廃寺となり、明月院のみが残って現在に至っています。

明月院は、鎌倉随一の「紫陽花寺」としてあまりにも有名ですが、明月院の魅力は紫陽花にとどまりません。その、「紫陽花にとどまらない」部分を中心に明月院を紹介したいと思います。


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2005年02月10日

いざ鎌倉へ:第四回・浄智寺

「いざ鎌倉へ」第4回目は、鎌倉五山第4位、浄智寺(じょうちじ)を取り上げます。

浄智寺は、山号は金峰山といい、1281年(弘安4年)に亡くなった北条時頼の三男宗政の菩提を弔うために、その妻が一族の助けをもとに創建したと伝えられています。
1356年(延文元年)の火災で創建当初の伽藍は焼けてしまいましたが、室町時代に復興しました。しかし、関東大震災でほとんど倒壊し、現在残っている建物は、以後の建立となります。
かつては塔頭もありましたが、現在は広大な寺域だけが往時を偲ばせるよすがとなっています。

浄智寺の特徴は、その再建された楼門にあります。
ので、その楼門を中心に見ていきたいと思います。


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