42回目は、日蓮宗の古刹、
本法寺(ほんぽうじ)を取り上げます。
本法寺は、正式には叡昌山本法寺といい、日蓮宗の本山の一つで、
日蓮宗公式サイトによれば、「由緒寺院」という位置付けだそうです。
本法寺は、1436年(永享8年)に日親上人を開基として、東洞院綾小路に創建されました。
日親上人は、足利六代将軍義教に諌言して弾圧を受け、焼き鍋をかぶるという極刑を受けたことから、通称「鍋かむり」と呼ばれていますが、義教亡き後は赦され、京都で日蓮宗が盛んになる礎を築きました。
本法寺はその後、四条高倉、三条万里小路と所在を移しましたが、天文の法難(1536年(天文5年))で叡山の僧兵に焼き払われ、6年後に一条堀川で再建され、さらに豊臣秀吉の聚楽第造営にあたり、現在地に移りました。
現在の堂宇は、天明の大火で焼けたあとの1797年(寛政9年)頃に再建されたものです。
本法寺で最も見るべきは、
長谷川等伯作の大涅槃図ですが、当然写真撮影などできるものではありません(ほんの少しだけ、
Googleのイメージ検索でうかがい知ることが出来ますが、実際に見る迫力とは比較になりません)。
長谷川等伯は能登七尾の出身で、もともと長谷川家が日蓮宗の信者だったことから、本法寺の塔頭・教行院に寄宿していたこともあり、当時の住職・日通上人と親交があったとされています。
ちょうどこの頃、本法寺の移転があり、等伯は日通上人を援助し、その縁もあって、涅槃図が本法寺に納められることになったのです。
次に見るべきが、江戸時代の芸術家・本阿弥光悦作の「
巴の庭(別名
三巴の庭あるいは
三つ巴の庭)」ということになろうかと思います。
本阿弥家はもともと本法寺の大檀那であって、光悦の曽祖父、清信は本法寺開基の日親上人に帰依し、光悦自身も本法寺の移転に当たって、父・光二(移転の工事担当)に尽力したと伝えられています。
以下、本法寺の庭園などについて書いてみたいと思います。
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posted by karesansui at 00:00|
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京都(洛中)
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