2010年06月27日

しばし、滋賀のことでも:大池寺

今回は、サツキの庭園で有名な大池寺(だいちじ)を取り上げます。

大池寺を創建したのは行基と伝えられ、大池寺の周辺に灌漑用の水として心字池を造り、その真ん中に寺を建立したという伝承があります。
事の真偽は定かではありませんが、他にも金剛輪寺のような例もあり、全く無関係とも思えないところではあります。

その後、鎌倉時代に無才智翁禅師によって禅宗に改められましたが、1577年(天正5年)に織田信長の兵火によって焼かれ、復興したのは1667年(寛文7年)、丈巌慈航禅師によってとなります。当初、寺号は青蓮寺といっていたようですが、このときに今の大池寺に改められています。

大池寺は、伝小堀遠州作の庭園が有名であり、この庭を中心にみていきたいと思います。


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posted by karesansui at 23:11| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀(東近江・甲賀) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

しばし、滋賀のことでも:教林坊

「滋賀のことでも」第三回は、安土にある石の寺、教林坊(きょうりんぼう)を取り上げます。

教林坊は、もともとは観音正寺の塔頭であり、寺伝によれば605年(推古13年)に聖徳太子によって創建されたとされています。
教林坊の「教林」の字は聖徳太子が林の中で教えを説いたことに由来し、後述の通り「太子の説法岩」と呼ばれる岩もあります。また、本尊は霊窟の中に祀られており、このようなことから「石の寺」とも呼ばれています。

庭園など、教林坊の寺観は、概ね江戸時代初期の観音正寺復興と時を同じくして整えられたようです。教林坊は白洲正子氏の「かくれ里」で取り上げられていて、この本が出版された当初(1971年)あたりまでは、文字通りの「かくれ里 石の寺」だったのではないかと思われます。

ただ、近年は一度、無住の寺となって荒れ果ててしまい、寺全体が竹やぶで覆われるような形になってしまいました。それに対して本山から任命される形で教林坊に入った現住職が、最終的には天台宗の本山所属の僧侶の地位を擲って(退職金などを使って)、現在のような形に整備して現在にいます。

教林坊は、伝小堀遠州作の庭園が名高く、この庭園を中心に紹介したいと思います。


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posted by karesansui at 23:10| 京都 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 滋賀(東近江・甲賀) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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