2011年06月26日

京都の路地裏で:随心院

久々になった京都ネタですが、81回目は随心院(ずいしんいん)を取り上げます。

随心院はもともと牛皮山曼荼羅寺の塔頭として建てられた寺院です。
この牛皮山曼荼羅寺ですが、991年(正暦2年)に仁海を開基に建立された、真言宗の寺院です。
その後、1229年(寛喜元年)に後堀河天皇の宣旨によって門跡寺院とされ、この頃から随心院門跡と称されるようになったようです。

応仁の乱の際には境内が焼けてしまい、現在地に再興されたのは、1599年(慶長4年)になってのことでした。

随心院がある小野の地は、その名の通り小野氏の根拠地で、随心院も小野小町ゆかりの寺と名乗っています。
しかしながら、小野小町とはあまり関係がない庭園を中心にみていきたいと思います。


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2006年11月12日

京都の路地裏で:醍醐寺

70回目は、醍醐寺(だいごじ)を取り上げます。

醍醐寺は、弘法大師空海の孫弟子、理源大師・聖宝が、874年(貞観16年)に創建したと伝わっています。
その際、地主神の横尾明神からこんこんと水が湧き出るこの山(醍醐山)を譲り受けたとされていますが、この水を醍醐水と呼び、その水が現在にも伝わっています。

当時の醍醐寺は笠取山(現在醍醐山と呼んでいる場所。現在笠取山と呼んでいる場所は醍醐山の南東約3km)の上にあり、修験道の修行場(霊場)として発展していきます。
現在の特に醍醐寺と呼ばれている領域は、後に醍醐天皇などが堂塔を建てていった場所です。

醍醐天皇以下三代の天皇の庇護の下、山上(通称・上醍醐)には薬師堂などが、山下(通称・下醍醐)には釈迦堂、五重塔などが建立され、大伽藍が完成しましたが、山下の伽藍は五重塔を残して戦火、火災などでことごとく焼け、山上の伽藍も荒れ果てていたところ、豊臣秀吉および豊臣秀頼によって伽藍が再建されました。
その後は特に戦乱の影響もなく、現在に至っています。


醍醐寺は、ユネスコの世界文化遺産に指定されるほど(ある意味世界的にも)有名な寺院ですが、例えば山上までも醍醐寺の一部であることや、秀吉の「醍醐の花見」が下醍醐だけではなく上醍醐に登る途中にある槍山の御殿まで桜が植えられ、秀吉がその御殿から見下ろすように花見をしたであるといった、醍醐寺の本当のことが意外と知られていないので、敢えて取り上げる次第です。


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2006年10月15日

京都の路地裏で:勧修寺

68回目は、勧修寺(かじゅうじ)を取り上げます。

勧修寺は、900年(昌泰3年)、生母藤原胤子の菩提を弔うため、醍醐天皇によって創建されました。
醍醐天皇はこのあたりの地に所縁が深く(天皇陵は文字通り「醍醐」の地にあります(後山科陵宮内庁ホームページより))、父・宇多天皇や自らの子孫がどちらかといえば嵯峨野のほうに所縁があったのと比べると、やや珍しさを感じさせる部分ではありますが、これは生母藤原胤子がここの出身だったことが関係しているかもしれません(「今昔物語集」にそのあたりの経緯が伝えられています)。

勧修寺も、胤子の母の父・宮道弥益の山荘を改めたものと伝えられています。
勧修寺の境内はもともと広かったと考えられ、付近には「勧修寺(地名は「かんしゅうじ」)」の地名が南北に広がっています。

勧修寺は代々法親王が入られ、門跡寺院としての格がありました。1470年(文明2年)に応仁の乱の兵火で焼け、江戸時代に将軍家と皇室の援助を得て復興し、現在に至っています。

勧修寺には、平安の色を強く残す庭園「勧修寺氷池園」があり、借景も取り込んで、広大な庭園の美を感じさせてくれます。
ここでは、「氷室の池」を中心とした庭園を中心に紹介したいと思います。


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2004年11月11日

京都の路地裏で:毘沙門堂

32回目の今回は、桜の名所としては有名な、山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)を取り上げます。

毘沙門堂は、正式には護国山安国出雲寺毘沙門堂といい、歴史は古く、奈良時代に行基が開いたといわれる、現在は天台宗の寺院です。
もっとも、出雲路に創かれた出雲寺は、戦乱のために伽藍が焼けてしまい、現在の毘沙門堂は、江戸初期に徳川家康に仕えた天海僧正が修復を祈願し、最終的には弟子の公海が1665年(寛文5年)に堂宇を完成させたといわれています(その後、御所から建物が移築されています)。
以来、天台宗の門跡寺院となりました。

そんな毘沙門堂を、桜を交えつつ紹介したいと思います。


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