2005年11月01日

京都の路地裏で:南禅寺天授庵

58回目は、南禅院に引き続き、南禅寺の塔頭・天授庵(てんじゅあん)を取り上げます。

南禅寺創建の経緯は、南禅院の回で書きましたが、南禅寺開祖の大明国師(無関普門禅師)は南禅寺開創の後すぐに亡くなってしまい、実際に南禅寺の基礎を築いたのは、第二世南院国師(規庵祖円禅師)でした(南禅寺では南院国師を「創建開山」としています)。
このため、開山大明国師はあまり省みられることがなく(このようなことは、何よりも開山を大切にする宗派である臨済宗としては、大変珍しいことだと思いますが)、大明国師の没後、数十年が経過しました。

この状態を嘆いた南禅寺第十五世虎関師錬が、朝廷に奏して開山塔建立の勅許を請い、1336年(暦応2年)に北朝光厳上皇の勅許を得て建設し、翌年建立したのが、天授庵です。

その後、1447年(文安4年)の大火と応仁の乱の兵火で相次いで焼けてしまい、以後、再興されることなく桃山時代を迎えます。
慶長年間に入り、ようやく天授庵復興が俎上に上り、当時の南禅寺住持玄圃霊三和尚が細川幽斎(藤孝)に復興を要請して再興されたのが、現在の天授庵になります。

天授庵は、国の重要文化財に指定されている長谷川等伯の襖絵や現存する唯一の大明国師自讃の肖像など、非公開部分にかなりの見どころがありますが、ここでは通常公開されている庭園に絞りたいと思います。

本堂東庭の枯山水庭園と、書院南庭の池泉回遊式庭園の2つの作庭年代が異なる庭園があり、さらにそれぞれの庭園の中に、異なる時代背景が混じり合っています。
そのあたりを踏まえつつ、天授庵庭園を紹介したいと思います。


天授庵に入ってすぐのところにある門ですが、天授庵本堂東庭は、この石畳と同じ模様がそこここに見られます。
tenjuan01.jpg

こちらが本堂東側の枯山水です。
tenjuan02.jpg
特に、石畳の組み合わせで作られている幾何学模様が、とても印象的です。

苔の緑と白砂、石畳の構成はとてもモダンで、近代の庭のように感じますが、これは寺伝によれば、創建当初のものと推定されるそうです。

さらに奥の「石畳」です。
tenjuan03.jpg

この幾何学模様は、正門から本堂まで(先ほどの写真)と本堂から廟所へのものがあり、こちらの写真(廟所へ向かうもの)は、1610年(慶長15年)に幽斎が亡くなって廟所が建てられた後に設けられたもので、正門から本堂までの幾何学模様を模したものです。

こちらの幾何学模様の方が、やや大きめの石畳を使っていて、明らかに大きさが違いますので、間近で見ると区別がつきやすいのですが、遠目には全く同じ時期に作られたように感じてしまいます。
前の石畳に似せて作るあたりは、時代背景やもともとの意匠のセンスを引き継いでいるという意味で、かなり時代が下っていることを考えると、桃山期の手法で庭園を作り直すということもあり得たはずだけに、なかなか面白いことだと思います。

本堂東庭の、幾何学模様がない石組と刈込の部分です。
tenjuan04.jpg

庭園が現在の形に整備されたのは、間違いなく細川幽斎による再興後と考えて良いと思います(白砂を使った枯山水は、創建当初は存在しなかった手法ですし、このような手法が成立した後で庭園に手を入れる機会があったとすれば、細川幽斎による再興後と考えるのが自然でしょう)。


天授庵の本堂にある額です。
tenjuan05.jpg
うっすらと右から「天授菴」(「菴」の字は「庵」の旧い書き方です)と書かれています(ほとんどかすれて読みにくいと思いますが)。

天授庵の本堂は、細川幽斎の寄進によるもので、1602年(慶長7年)に建てられたもので、写真では分からないですが、障子柱に面取りがしてあったり鴨居が外付けになっているあたりに、建築年代が感じられます(京都で塔頭建築を見比べると、年代の違いがよく判ると思います)。


書院南庭です。
こちらは、その中でも東池にある滝です。
tenjuan06.jpg
この滝の周辺の手法は、創建当時の色合いを強く残すものと伝えられています。

こちらは、東側の築山です。
tenjuan07.jpg
このあたりは、慶長年間の再建時に手を入れられた趣が残ると伝えられていますし、確かに少々綺麗になりすぎているといえばそのような印象がないわけでもありません。
南禅院との比較で見ると、同じ築山でもちょっと違う印象を受けるので、このあたりが時代が下ったことによる違いなのでしょう。

こちらは、書院南庭の西池です。
tenjuan08.jpg
奥の方に築山が見えますが、これは蓬莱島で、この島自体は明治期に当時の住職による庭園の改造で築かれたものです。

当初の成立年代が近い南禅院の蓬莱島と比べると、蓬莱島から受ける印象が大分違うのに気付くかと思います。
この島には歩いて渡ることができて、前後には石橋が架かっていたりするのですが、この築山や石橋の手法は明らかに明治のもので、一部この庭が南北朝時代の古さを感じなくさせてしまっている理由ではないかと思います。

同じ書院南庭で、最も南北朝時代の雰囲気を残す、出島が入り組んで入江を構成している場所です。
tenjuan09.jpg
東池の書院側の出島を右に、向かい側の出島を左に組み合わせて巴形に入江を造り、池の曲線に様々な変化を与えています。このような入江を組み合わせる手法は、南禅院の蓬莱島付近や池を上、下に区切っているあたり、さらには等持院の中島の裏手あたりに見られるもので、室町期前後の池泉式庭園らしい手法です。
先ほどの蓬莱島とはかなり雰囲気が違うと思います。

入江をさらに辿ります。
tenjuan10.jpgここまでくると、入江というより水路に近くなっていますが、これが土を崩して水を通した水路ではなく、出島を組み合わせて造っているところが後年にはあまりない手法であり、珍しいものなのでしょう。


庭園が造られるにあたっては、それぞれの時代背景があるので、簡単に良し悪しが結論付けられるものではありませんが、南北朝以前の時代の庭園が、原形を残して現代に伝わるものはとても少なく、それだけにこの明治期の改造は残念でならないと思います。

価値観が変わるにつれ、新たなものが創られ、古いものは消えてゆくというのがこの世の定めのようなものなのでしょうから、どんなにその存在が貴重であっても、古いものを残すというのは、存外難しいということなのでしょう。
そんな時代の残酷さのようなものを、この庭園は語りかけているのかもしれません。


−天授庵の概要−
宗派:臨済宗南禅寺派
拝観料:400円
拝観時間:9:00-17:00(冬季9:00-16:00)
住所:京都市左京区南禅寺福地町86-8

−南禅寺への行き方−
京都市バス5系統で、「南禅寺・永観堂道」バス停下車、徒歩5分
・京都市バス5、32、93、100、203、204系統で、「東天王町」バス停下車、徒歩10分
京都市営地下鉄東西線蹴上駅から徒歩7分
タグ:京都
posted by karesansui at 00:36| 京都 晴れ| Comment(4) | TrackBack(1) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ちょっとの間ご無沙汰していました。
実は10月20日、こちらに書き込みをして寝て、起きた後に急病で入院しまして、やっと28日に退院しました。
南禅寺も、これから、いい時期ですね。まだ見たことのない塔頭ばかりだなあと、こちらを見るたびに勉強になります。おおきに。
Posted by 龍3 at 2005年11月01日 12:00
コメントありがとうございます。
> 龍3さん
大変だったようですね。
何卒お体にはお気をつけて。
普段の節制が大事だと思います。
これからも、よしなに、宜しくお願い致します。
Posted by karesansui at 2005年11月01日 12:42
きれいだなぁ。静かだなあ。
位にしか見ていない私ですのでこちらの説明はとても参考になります。
karesansui さんのように、時代背景を頭に入れて見て、いろいろなことを自分のものにしなきゃいけないなぁって思います。
Posted by yume at 2005年11月01日 20:04
コメントありがとうございます。
> yumeさん
私は花などがさっぱり分からないので、yumeさんのBlogを読んで勉強させていただいてます。
それでも未だに、「この花どこかで見たような」とぼんやり思い出したりしています。

お寺に伝わる話も、調べると結構アテにならない情報が多いようで(特に庭園の「伝・小堀遠州」の類)、ブランドよりも中身が大事なのかなと思うことが多いです。
Posted by karesansui at 2005年11月02日 01:54
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Tracked: 2005-11-01 20:05