2005年10月31日

京都の路地裏で:南禅寺南禅院

57回目は、南禅寺の塔頭、南禅院(なんぜんいん)を取り上げます。

南禅院の、というよりはむしろ南禅院の場所を発祥の地とする南禅寺の始まりは、1264年(文永元年)に亀山天皇が南禅寺の地の風光明媚を賞されて、離宮を営んだというものです。
その後、亀山天皇が法皇となられるにあたり、離宮を禅寺として、大明国師を開山として、現在の南禅寺が創建されました。

その後、南禅院の場所は離宮の遺構として残っていましたが、一度火災に遭って焼失し、再興された後、応仁の乱で再び灰となり、その後は全く再興されませんでした。
現在の建物は、1703年(元禄16年)に徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によるものです。

南禅院の庭園は、離宮の当時の面影を遺す、鎌倉時代の池泉回遊式庭園です。
そんな南禅院庭園を紹介していきたいと思います。


こちらは南禅院の方丈です。
nanzenin01.jpg
前述の通り桂昌院の寄進によるもので、このときに後述の庭園も含めて大きく手を入れられています。
しかしながら、それでいてなお離宮の面影を遺しているあたりが南禅院庭園の価値だともいえましょう。


さて、南禅院庭園。
こちらは、上池、下池とあるうちの、下池にあたります。
nanzenin02.jpg
島が「心」の字に造られているあたりは(いわゆる心字池という言葉がありますが、島を「心」とするので心字島といいます)、鎌倉時代らしい作庭手法だと思います(心字池を擁する庭園で代表的なところでは、等持院がそれにあたります)。

時代が下るにつれ、字をモチーフに庭園を造るという手法は消えていったのではないかと思われますが、庭園そのものが抽象化していったのと同時に、寺院の困窮に伴う土地の制約が、応仁の乱以降顕在化してきたからではないかと思います。


上池は、下池が「心」の島を持つのに対し、曹源池と呼ばれ、蓬莱島を擁しています。
nanzenin03.jpg
京都一般拝観情報に「南池は今の出島が中島であったと考えられる」という記述がありますが、南池=上池の出島が中島であったとすれば、かつての離宮の規模は今の南禅院よりもかなり大きいものであったと言えましょう。

であれば、このあたりは江戸時代に手が入ったところとなりますが、出島の曲線あたりは、元の地割を遺してか、なかなか優美なものがあると思います。

それにしても、蓬莱島の石組の見事さと背景となる東山の森が相まって、とても雄大な印象を受けます。
nanzenin04.jpg
この庭は、寺伝では夢窓疎石作庭と伝えられていますが、このあたりの池泉と島の組み合わせが、いかにも『夢窓疎石らしい』手法ではないかという感じがします(実際には、この庭園は離宮創建当初(=1264年(文永元年)前後)、つまり夢窓疎石の時代(概ね50年後くらいです)よりもさらに前に造られたと考えられています)。

南禅院の庭園は、曹源池を周ることができますが、曹源池の上からの眺めです。
下から見るとのはかなり印象が異なります。
nanzenin05.jpg
手前から見た華麗さと比べて、こちらは幽玄の感があります。
水の落ちる音だけが聞こえるような、心を静かに、ゆっくりと味わう庭園だと思います。

庭園の奥にある、滝の石組です。
nanzenin06.jpg
これがもともとの「滝口の石組」かどうかは分かりませんが、滝をわざわざ曲線状にしているのは、人の手を加えている証左ですから、何らかの意匠ではないかと思います。

人はもともと裏表のある存在だと思いますが、この庭園の裏表を味わうことで、そんな人間のごく当たり前な真理に気付かせてくれる、そんな南禅院庭園だと思います。
正直、私もこの庭は理解できていない部分が多いのではないかと思います。


−南禅院の概要−
宗派:臨済宗南禅寺派
拝観料:300円
拝観時間:8:40-17:00
住所:京都市左京区南禅寺福地町

−南禅寺への行き方−
京都市バス5、57系統で、「南禅寺・永観堂道」バス停下車、徒歩5分
・京都市バス5、32、57、93、100、203、204系統で、「東天王町」バス停下車、徒歩10分
京都市営地下鉄東西線蹴上駅から徒歩7分
タグ:京都
posted by karesansui at 00:47| 京都 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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