2008年02月09日

いざ鎌倉へ:第十回・称名寺

「いざ鎌倉へ」第十回は、鎌倉から少し離れた金沢文庫にある称名寺(しょうみょうじ)を取り上げます。
称名寺は、所在地こそ鎌倉の域外ですが、鎌倉なくしてこの寺はありえませんので、このような形で取り上げる次第です。

称名寺は、鎌倉時代の北条氏金沢流の実質的な祖とされる金沢実時によって創建されたと伝えられています。創建年代は確かではありませんが、金沢実時の居館にあった持仏堂が起源とされています。
称名寺は北条氏の繁栄とともに発展しましたが、鎌倉幕府および北条氏の滅亡により、創建時の伽藍を次第に失っていきました。

江戸時代に入り、伽藍の復興が始まり、江戸時代後期には現在の称名寺の伽藍が揃いました。

称名寺は、浄土式の称名寺庭園を持ち、境内全体が国指定の史跡に指定された、横浜市内でも稀有の空間です。
そんな称名寺を、庭園を中心に見ていきたいと思います。


こちらは、「赤門」です。
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真っ赤な外観から新しいもののように見えますが、1771年(明和8年)に建立されたものです。

春には花見で賑わう門前町を歩くと、その脇に「光明院表門」が見えます。
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1665年(寛文5年)に建てられたもので、三渓園にある三重塔のような他所から移築されたものを除くと、横浜市内で最古の建物になります。

門前町の突き当たりに、立派な「仁王門」が見えてきます。
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こちらは光明院表門からかなり時代が下り、1818年(文政元年)に建てられたものです。
しかし、両脇に控える仁王像は1323年(元享3年)の銘が入った鎌倉時代のものです。


仁王門をくぐると、「称名寺庭園」に出ます。
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称名寺庭園は、金沢貞顕によって1320年(文応2年)に造られた、浄土式の庭園です。
作庭には性一法師が関わり、青嶋石を使用した90数個の景石を、中島や池の周囲に大量の白砂と共に配置することを指示されて造られたものです。
今の庭園は、1987年(昭和62年)に調査などを踏まえて復元されたものです。

本来であれば、仁王門から橋を渡って、真っ直ぐ金堂に至るようになっていました。このような庭園の造りは、円成寺(庭園の中島に橋の遺構があります)など数少ないものです。しかし、中島と金堂の間の橋は腐食が激しく、近年撤去されてしまいました。

とはいえ、背景の山を含めて、一体として庭に見せているあたりが、枯山水などではなかなか味わえない庭の味わいではないかと思います。

橋がなくなったとはいえ、今でも称名寺庭園は浄土のイメージを充分に醸している、素晴らしい庭だと思います。
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特に、水に映りこむ周辺の景色や空などが、池の庭らしい見せ場ではないかと思います。

池の周囲には、このように石が遺されています。
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これが作庭当初のものかどうかは判りませんが、徒に護岸を整備するのではなく、古の庭園を現代に蘇らせるものとして行われた復元作業は、大変好感が持てるものだと思います。

庭の中には、立っている石(姥石とも美女石とも伝えられているようです)や水路の跡と思しき石などがあります。
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こういう遺構をみながら、鎌倉の古の空気に浸れる、称名寺はそんな空間だといえるのではないかと思います。


称名寺を創建した金沢実時は、称名寺に隣接する金沢文庫を建設したとも伝えられています。
北条氏は武家ではありますが、武家には似合わない浄土式庭園や文庫の存在が、金沢実時の文化人としての側面を見せていて、興味深いところです。
称名寺の仏像は神奈川県立金沢文庫に寄託されていますので、時間があればこちらもゆっくりながめたいところです。


−称名寺の概要−
正式名称:金沢山称名寺
宗派:真言律宗
拝観料:無料
拝観時間:8:30-16:30
住所:神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1

−称名寺への行き方−
京浜急行金沢文庫駅から徒歩13分
シーサイドライン海の公園柴口駅から徒歩10分
タグ:鎌倉
posted by karesansui at 18:44| 京都 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉(小町・材木座・その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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