宗隣寺は、宇部の領主であった長州藩の家老・福原広俊が、1670年(寛文10年)、父・元俊の菩提を弔うために、普済寺(ふさいじ)の跡地に建てたものです。
福原氏は毛利氏の一族で、関ヶ原の戦いの結果毛利氏が大幅な減封を受けて萩に移転した後の1625年(寛永2年)に、福原元俊が厚狭郡宇部村など8000石を領有するようになりました。以後、福原氏は毛利氏の永代家老を兼ねつつ、宇部を幕末まで治めることとなりました(宇部市教育委員会のページより)。
普済寺は777年(宝亀8年)に唐より日本にやってきた為光和尚(威光和尚とも)によって創建された寺ですが、当時どのような宗派だったかなどは(当時はあまり宗派の概念がなかったこともあってか)判っていないようです。
後に禅宗となり(現在大阪・鶴満寺にある梵鐘が普済寺に寄贈された際、『宇部郷松江山普済禅寺』の追銘がされているとのこと(宇部観光コンベンション協会のページより))、さらに後には荒廃したようです。
宗隣寺は江戸時代に入ってからの建立ですが、庭園「龍心庭」は普済寺時代に造られたもので、山口県内最古の庭園とされています。
この庭を中心に、宗隣寺について書いてみたいと思います。
こちらが「龍心庭」になります。
どちらかといえば大きな石などは置かれていない、豪快さよりも繊細さがみられる庭園です。
この庭は、築山と池泉を組み合わせた形式で、様式は須弥山様式とされています。
「須弥山式」とされる根拠は、築山の上の石組にあって、この築山を須弥山に見立てた庭、ということになっています。
ですから、本来であればあの山頂の石組から下の枯滝までかつては石組が組まれていたかもしれません。
中でも特徴的なのが、池の中に配された「夜泊石(よどまりいし)」になりましょう。
夜泊石は蓬莱思想の産物で、この石をもって「蓬莱山から不老不死のクスリを持ち帰った宝船が夜間に停泊している様」を表すとのことですが、きれいに並んだ夜泊石をみると、確かに船が並んでいるかのようです。
そして、夜泊石は池の奥まで点々と続いていきます。
手前から奥の枯滝に向かっては、一つの通路があるようにも見えますが、特に橋がかけられていたわけではなさそうです。
手前側の小石もまた、後述の「干潟様」の一部かもしれませんが、水路のようにも見えます。
左下の浅瀬には細かい石が敷き詰められています。
水位によってはこの石が水面より上に出てくることもあるのですが、これが「干潟様」であり、全国でもここと毛越寺(もうつうじ・岩手県平泉)にしか見られない特異な様式です。
もともと「干潟様」は寺伝にしか書かれておらず、1968年(昭和43年)の復元・改修工事の際に行われた発掘調査で発見されたもので、その当時の池の水位は現在より30cm以上も高く、泥で隠れてしまっていたものが見つかったことで、寺伝の正しさが証明されたとのことです。
このような浅瀬がある庭は、確かにほとんど例を見ないものではないかと思いますし、夜泊石や干潟様といった独特の意匠が、龍心庭を特徴付けているといっても過言ではありません。
龍心庭の池は「ニ連結式」の「心字池」とされていますが、この地割が知恩院や南禅寺に似ているので南北朝期に遡る、とされています(山口県文化財データベースの記述より)。
ここでいう「南禅寺」とは、おそらく南禅院庭園か天授庵庭園を指すのでしょうけれども、個人的には南禅院の下池庭園と良く雰囲気が似ているように思われます。
庭の様式にも流行り廃りがあるということを考えると、おそらくは、南禅院と同時期の鎌倉時代後期から室町時代前期の間に作庭されたものでしょう。
宗隣寺は、宇部というほとんど観光地としては省みられない場所にありますが、静かに庭の風情を味わえる場として、あるいは古い庭の様式を知る場として、山口市周辺を訪れた際は是非足を伸ばしてほしいところです。龍心庭は、もし見る機会があれば、必見だと思います。
−宗隣寺の概要−
正式名称:松江山宗隣寺
宗派:臨済宗妙心寺派
拝観料:300円
拝観時間:9:00-16:30
住所:山口県宇部市小串210
−宗隣寺への行き方−
・JR西日本宇部線宇部新川駅または山陽本線宇部駅から宇部市交通局バス小羽山線で「小串」または「宗隣寺下」バス停下車、徒歩5分
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