大徳寺興臨院は、大徳寺の塔頭の一つで、足利時代、太永年間(1520年代)に能登の守護、畠山義総(はたけやまよしふさ)によって建立されました。開祖は大徳寺第86世の小渓和尚です。寺号は、義総の法号から採られたものです。
その後、畠山家の菩提寺となっていましたが、畠山家は義総亡き後没落し、1581年(天正9年)に前田利家が本堂屋根の修理を行ったことから、以後、前田家の菩提寺にもなりました。つまり、興臨院は、畠山家と前田家の菩提寺を兼ねている、ということになります。
そんな興臨院を、庭園を中心に紹介していきたいと思います。
「表門」です。
創建当時のもので、国の重要文化財に指定されています。
当然のことながら、大徳寺の中でも有数の古い門になります。
方丈は国の重要文化財ですが、こちらはその方丈の中の、「日本最初の床の間」といわれる部屋です。
床の間はそもそも、書院と違い棚を一緒にしたもので、室町以前はこれらが別々に造られていました。
方丈建築では部屋の数を多くできないので(通常は6部屋)、こういう建築様式が創られていったのでしょうか。
茶室「涵虚亭」です。
古田織部好みの茶室といわれており、さほど古くない茶室ですが、建物自体に気品が感じられるせいか、重要文化財の建物に囲まれていても違和感を感じません。
方丈前庭東側には、「唐門(玄関)」があります。
花頭窓の様式(下側が広がらずに真下に下りている)などに、建築年代の古さを見ることができます。
「方丈前庭」です。
この庭園は、昭和53年の本堂解体修理完成に際して、資料を基に、造園家・中根金作氏が復元したものです。
庭園の様式としては、蓬莱式枯山水となります。蓬莱(=蓬莱山)は、中国の伝説で、東方の海上にある島で、仙人が住み、不老不死の地となっている場所、とされています。
鶴亀庭園もそうですが、枯山水の庭園は、もともと中国の神仙思想の影響があり、竜安寺の石庭のような抽象的な庭園は、禅宗が盛んになってからのものです(室町時代以降)。
真ん中あたり、石で橋を渡しています。
これは、中国、隋代の古刹、天台山国清寺(てんだいさんこくせいじ)の石橋を模したものです。
大石、松があしらわれ、石橋や他の石組とも相まって、蓬莱の世界を表しています。
庭園の西側に回ると、琴にちなんだ爪塚を中心として、植え込みを中心とした庭が広がっています。
庭園北側もまた、緑鮮やかではあるものの簡素な、落ち着きのある庭が広がっています。
庭園北西側には、貝多羅樹(古代、その葉を写経に用いた、仏家で珍重される樹木)もあります。
昔はこの木の葉に文字を書きつけていた、という日常性溢れる話がピンと来ないほど気品のある姿の木であり、一見の価値があると思います。
興臨院庭園の石橋は天台山国清寺のものを模した、ということは先述いたしましたが、国清寺には寒山・拾得が住んでいたという話が残り、天台宗の発祥地ともなっている中国の古刹への憧憬が色濃く残されているようです(作庭に当たって使った資料は、「畠山氏書院庭園図」という資料だそうです)。
臨済宗の寺院で、天台宗の起源の話が出るのは少々不思議なことですが、今の日本の仏教各宗派は、天台宗と同時期に開かれた真言宗を除いて、そのほとんどが比叡山延暦寺に学んだ僧を起源としています(比叡山延暦寺のサイトより)。
故に、こういった話も全く否定することはできないと思います。
中国の道教は仏教と深い関わりがあり、逆に神仙思想が仏教にも深い影響を与えています。
そもそも、蓬莱式枯山水という様式は神仙思想の影響が強く、その意味は不老不死であり永遠の繁栄なのですが、もともと道教では、それを修行によって獲得するという意味合いが強く、永遠の繁栄も修行次第というのは、禅の気風にも合っているのではないかと思います(道教について、「良識園」の道教の項を参考にしています)。
もっとも、現在の我々が「神仙思想」といっても、竹取物語などからイメージされる蓬莱山しか思い浮かばず、元来の神仙思想と遠いところに来てしまっていて怠惰になってしまっていますので、永遠の繁栄など覚束ないのかもしれないのですけれども。
−興臨院の概要−
宗派:臨済宗大徳寺派
拝観料:600円(春季と秋季に定期的に行われる特別拝観の料金です)
拝観時間:10:00-16:00(春季と秋季に定期的に行われる特別拝観の時間です)
住所:京都市北区紫野大徳寺町 大徳寺山内
−大徳寺への行き方−
・京都市バス204、205、206、101、1、12、M1、北8系統で「大徳寺前」バス停下車、徒歩3分
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