2005年06月20日

京都の路地裏で「番外編」・東福寺退耕庵

「番外編」の第二回は、東福寺退耕庵(たいこうあん)を取り上げます。

東福寺の塔頭、退耕庵は、1346年に東福寺43世の性海霊見によって創建され、応仁の乱によって一時荒廃したものの、桃山時代に東福寺216世住持の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって再興されました。

安国寺恵瓊は安芸出身の僧で、当初は毛利家の外交僧でしたが、秀吉の中国攻めの際に秀吉と和議を結んだことから、後に秀吉に重用され、直臣の大名としての扱いを受けることになります。
関ヶ原の合戦のときは西軍の将であって、西軍大将の石田三成、最後は西軍を裏切った小早川秀秋らと徳川方との決戦について謀議を行ったのが、ここ、退耕庵の茶室「作夢軒(さくむけん)」と言われています。

作夢軒は、作られた時代が時代でしたので、茶室であるにも関わらず、「忍び天井」や「伏侍の間(=武者隠しの間)」がある、大変ユニークな造りになっています。

良く知られる通り、西軍は関ヶ原で合戦の末に負け、安国寺恵瓊も捕らえられて、石田三成、小西行長とともに京都・六条河原で斬首されました。
しかし、庵主が斬首されたにも関わらず、退耕庵は特に取り潰しなどの扱いはなく、現在まで続いています。

退耕庵では、庭園の写真を撮ることができましたので、庭園の紹介をしたいと思います。


こちらは、退耕庵書院北庭(中庭)です。
taikouan02.jpg
書院の近くは枯山水になっていますが、一般には池泉鑑賞式の庭園とされています。

ただし、冬はこの通り、池が枯れていることもあります。
taikouan03.jpg
この庭は中国西湖のイメージで作られているとされ、6、7月は睡蓮が美しいそうです。

書院南庭は「真隠庭」といい、開山性海霊見和尚の作庭と伝えられています。
taikouan01.jpg

性海和尚が修行した中国の景色を表すとされ、とても簡素な枯山水です。
室町時代初期の作庭とされていますが、退耕庵庭園は荒廃したものを近年になって修復したもので、この庭園がどれほど開山の頃の面影を保っているかは分かりません。

杉苔が美しい枯山水ですが、この写真は冬のものなので、苔は枯れています。
taikouan03.jpg

退耕庵はむしろ、小野小町ゆかりの寺として有名です。
退耕庵には「玉章地蔵尊(たまずさじぞうそん)」があり、これは小野小町作と伝えられています。
また、「小町百才の像」があり、これも小野小町作とされています。
小野小町の伝説は様々に伝わっていますが、大抵が老年の頃の話で、世の無常に重きを置かれています。
私もいずれは老いていかねばならず、今も既にその只中にありますが、どこまでその現実を見つめられるのでしょうか。


2004年2月22日拝観(第38回京の冬の旅・非公開文化財特別公開)


−退耕庵の概要−
宗派:臨済宗東福寺派
住所:京都市東山区本町15丁目793

−東福寺への行き方−
京都市バス202、207、208系統で、「東福寺」バス停下車、徒歩10分
JR西日本奈良線東福寺駅、京阪電車東福寺駅から徒歩10分
・京阪電車鳥羽街道駅から徒歩10分

ただし、退耕庵は東福寺の最も北側にあって、「東福寺」バス停から徒歩2分、東福寺駅から徒歩5分のところにあります。
タグ:京都
posted by karesansui at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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