2005年05月01日

京都の路地裏で:妙顕寺

46回目の今回は、日蓮宗の大本山・妙顕寺(みょうけんじ)を取り上げます。

妙顕寺は、正式には四海唱導妙顕寺といい、1321年(元享元年)に、日蓮上人の孫弟子・日像上人が後醍醐天皇より二条西洞院に寺地を賜って建立された、日蓮宗唯一の勅願寺院です。

日像上人は1294年(永仁2年)に京都での法華宗団(現在の日蓮宗)の布教を始めますが、他宗派の攻撃に遭って3度京都を追放され、妙顕寺建立までに27年以上かかっています。
四海唱導(しかいしょうどう)」とは、1358年(延文3年)に日像上人の弟子で妙顕寺二世の大覚上人が桂川で水乞いを行い、それに成功したために朝廷から賜った称号です。

その後の京都の法華宗団は隆盛を極め、室町の最盛期には京都の人口の半分が信者という時期を迎えます。
しかし、聚楽第建設のため、豊臣秀吉により「妙顕寺城」とも呼ばれた広大な寺地を召し上げられて堀川寺ノ内の現在地に移転し、本法寺と同じように天明の大火に遭って、建物を再建して現在に至っています。

妙顕寺は尾形光琳ゆかりのお寺で、泉妙院という塔頭に尾形家一族の墓がありますが、その光琳が作庭したとされる庭園などがあります。
その庭園を見ていきたいと思います。


こちらが、「光琳曲水の庭」になります。
myouken01.jpg

天明の大火で原型をとどめないほど改変されてしまっているそうですが(というより、原型が分からなくなってしまっているそうです)、写真には収まり切らないほど雄大な石組、地割がされている庭園です。

「曲水」と名が付けられていますが、実際には枯山水で、「曲水」に当たる部分は白砂で表現されています。

こちらが、客殿の中にある「孟宗竹林の坪庭」です。
myouken02.jpg

特にこの庭園に由緒はないと思いますが、静かな客殿の中で孟宗竹林を眺めるだけで、心が安らぐ気がします。
ここも写真を撮るにはちょっと辛い、孟宗竹が上下に広がる庭で、「百聞は一見に如かず」という言葉を地で行くものだと思います。

ここが大客殿の前庭にあたる「龍華飛翔の庭」あるいは「四海唱導の庭」です。
myouken03.jpg

写真の向かって奥側に枯滝の石組がなされていて、それを仏様に見立て、向こう側を悟りの境地、手前側を人間界に見立てる、庭園としてはよくある形式ではないかと思います。

木々の緑は楓で、紅葉の時期にはまた別の顔を見せます(妙顕寺ホームページの紅葉写真は見事の一言です)。

私は「龍華飛翔の庭はこれからもっと良くなる」と思っていますが、それは右側の桜にあります。
myouken04.jpg

この桜はまだ小さく、これからどんどん育ち、この庭園に春の彩を与えてくれるものと思っています。

正面の門は菊の御紋が入っていますが、これは妙顕寺が勅願寺院であって、この門が勅使門だからではないかと思います。

この門を外から見ると、このようになっています。
桜が鮮やかに咲いています。
myouken05.jpg

庭の中の桜も、このように育っていって欲しいと思っています。

妙顕寺は、あまり名は知れていないと思いますが、庭園をはじめ見どころは多く、京都での貴重な時間を割くに充分値するところですので、是非訪れていただきたいと思います。


−妙顕寺の概要−
寺号:具足山四海唱導妙顕寺
宗派:日蓮宗(一致派)
拝観料:500円(庭園)
拝観時間:9:00-17:00
住所:京都市上京区寺ノ内通新町西入ル妙顕寺前町514

−妙顕寺への行き方−
京都市バス9、快速9、12、67系統で、「堀川寺ノ内」バス停下車、徒歩5分
ラベル:京都
posted by karesansui at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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