2007年03月24日

京都の路地裏で:石峰寺

73回目は、伏見稲荷に程近い石峰寺(せきほうじ)を取り上げます。

石峰寺は、山号を百丈山といい、宝永年間(1704-1711年)に萬福寺を本山とする黄檗宗の第六世・千呆禅師によって建立されました。
当初は伽藍を備えた寺院でしたが、何度もの災禍で堂宇は焼けてしまい、現在の本堂は、ごく最近といって良い1985年(昭和60年)に再建されたものです。

石峰寺の裏山には、石峰寺に草庵を結んでいた江戸時代の画家・伊藤若冲が下絵を描き、石工に彫らせた五百羅漢があり、独特の禅境を見せています。
以下、この五百羅漢を中心に石峰寺を紹介します。


まずは山門。
sekihoji01.jpg
黄檗宗らしく、中国風の門です。
裏山の五百羅漢への参道にある門もまた中国風で、京都に幾多ある禅院とは違う様相です。

石峰寺の本堂になります。
sekihoji02.jpg
前述の通り、近年の再建になるものですが、黄檗宗らしく、手すりの下が卍や卍くずしになっています。
このあたりは、萬福寺の法堂に通じるところかなと思います。


五百羅漢、こちらは「説法」の場面であり、三尊形式(釈迦、文殊、普賢)になっています。
sekihoji03.jpg
こちらの五百羅漢は釈迦の一生を辿る形式になっているとされていますが、実際問題としてどのようなストーリー立てになっているのかは良く判りません。
しかしながら、200年以上もの時を経て丸みを帯びた羅漢は、若冲の絵とはまた一味違った魅力をみせています。

こちらは、「賽の河原」です。
sekihoji04.jpg
釈迦の一生と賽の河原にどういう関係があるのかは判りませんが、子供を表す小さな石像の数々が、圧巻です。

そして、涅槃の図。
sekihoji05.jpg
石像で涅槃を表すというのは、もちろん見たことがありません(庭石で涅槃を表すということであれば、真如堂妙蓮寺で見ることができます)。
羅漢たちの悲しみが伝わるようで、他の場面とは少々趣向が違うことを感じることができます。
涅槃図といえば大きく絵に書かれたものが一般的ですが、このような涅槃図を見ることができる、というだけでも、この五百羅漢の価値があるといえるのではないかと思います。


若冲の画に仏画は多くない(若冲が得意とし、多く描いたのは鶏の画です)のではなかったかと思いますが、石峰寺の五百羅漢は、若冲の仏画として見てみると若冲の信心深い一面(若冲の号は、相国寺の大典禅師より与えられた居士−在家信者−のものです)が良く判るのではないかと思います。

若冲の流派、というべきものは残念ながら後世に残ってませんが、若冲が生涯独身を貫いて禁欲的な生活をしていたからだ、ということであれば、腑に落ちるところであります。江戸時代の狩野派が血縁関係で命脈を繋ぎ、長谷川等伯の一派が等伯の長男久蔵の死で後が続かなかったことにも目を配るべきでしょう。
しかし、若冲が仏教に傾倒していたからこそ、この五百羅漢も石峰寺に残ることになった、という意味では、凡そ継続性があったとは思えない若冲の流派がいくばくか続いていたかもしれないよりも、意義のあることかもしれません。

もっとも、こちらの五百羅漢はそんな由縁とは関係もなく、今日も明日も伏見の薄暗い山の中で、佇み続けるのでしょうけれども・・・。


−石峰寺の概要−
寺号:百丈山石峰寺
宗派:黄檗宗
拝観料:300円
拝観時間:9:00-17:00
住所:京都市伏見区深草石峰寺山町26

−石峰寺への行き方−
京阪電車深草駅から徒歩5分
JR西日本奈良線稲荷駅から徒歩8分
ラベル:京都
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posted by karesansui at 22:29| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛南) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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