2005年04月02日

京都の路地裏で:金戒光明寺

43回目の今回は、金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)を取り上げます。

金戒光明寺は、通称くろ谷、あるいは黒谷といい、浄土宗に7つ数える大本山の一つで、紫雲山金戒光明寺といいます。
1175年(承安5年)に法然上人が比叡山から下りて最初に草庵を結んだ地とされています。またこの地は、法然上人が師・叡空から譲り受けた地であるともいわれています。

その後、法然の後継者・信空とその弟子によって伽藍が整えられました。
当初は単に光明寺という名前でしたが、南北朝時代に北朝の後光厳天皇から「金戒」の二文字を賜って、現在の金戒光明寺という名前になりました。
ここも応仁の乱で焼け、復興したのは安土・桃山時代に信長、秀吉の庇護を受けてからです。
さらに徳川幕府によって伽藍が整えられ、現在に至っています。

金戒光明寺は、「隠れた桜の名所」だと思いますので、桜を中心に見ていきたいと思います。


桜咲く「山門」です。
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こちらの山門は1860年(万延元年)完成ですから、松平容保が京都守護職として金戒光明寺に入る2年前のことになります。
振り返っても、桜が見事な山門です。
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この大きな門をくぐると、御影堂が見えてきます。


石段を上がると、桜の向こうに見えてくるのが御影堂(大殿)ですが、その前にじっくりと桜を眺めて行きましょう。
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伽藍も、桜越しに見るとまた違った味わいがあります。
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金戒光明寺の伽藍の中心、「御影堂」は、1944年(昭和19年)の再建です。
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知恩院の御影堂や本願寺(西・東とも)の御影堂あたりとは比較にならないほど小ぢんまりとしていますが、それでもお寺の本堂としてはかなり大きい方で、現代の建築らしく、音響や光線にとても目の配られた、昭和の模範建築物といわれています。

中には法然上人75歳の御影(=坐像、御真影ともいいます)が置かれ、「鏡の御影」と呼ばれるほどのものだそうです。
この御影は4月25日の宗祖法然上人忌の際に、一般公開されます。


御影堂の周辺には大きな建造物がいくつかありますが、こちらの「阿弥陀堂」(江戸初期建立)を除いては、いずれも昭和に入ってからの再建です。
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阿弥陀堂は、本来は本尊たるべき阿弥陀如来を祀っているのですが、浄土宗では阿弥陀如来よりも御影=法然上人を特に篤く敬うところがあり、御影堂よりも小さなものとなっています。

庫裡」は、その大きさで参拝者を包み込まんばかりの迫力があります。
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庫裡は通常非公開となっています。

こちらの松は、熊谷次郎直実が出家する前に鎧を掛けた「鎧かけの松」と言われています。
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山門のある側から境内を墓地のある側へ向かう途中には、蓮池があり、極楽橋が掛けられ、桜が咲いています。
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そして、墓地の階段を上がると、日本三大文殊にも挙げられる文殊菩薩が納められた「三重塔」があります。
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金戒光明寺は桜の名所でありながら、観光客はさほど多くなく、落ち着いて桜を楽しめるところではないかと思います。
金戒光明寺から真如堂を抜けて哲学の道へと、桜めぐりもできますので、桜の時期にはゆったりと訪れていただきたいと思います。


−金戒光明寺の概要−
寺号:紫雲山(くろ谷)金戒光明寺
宗派:浄土宗
拝観料:境内無料
拝観時間:9:00-16:00
住所:京都市左京区黒谷町121

−金戒光明寺への行き方−
京都市バス32、93、203、204系統で、「岡崎道」バス停下車、徒歩10分
・京都市バス5、32、57、93、100、203、204系統で、「東天王町」バス停下車、徒歩15分
タグ:京都
posted by karesansui at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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