2006年11月05日

京都の路地裏で「番外編」・立本寺

「番外編」の9回目として、立本寺(りゅうほんじ)を取り上げます。

立本寺は、日蓮宗三具足山の一つで山号を具足山といい(他の「具足山」は妙顕寺と妙覚寺)、日像上人が1321年(元享元年)に、四条大宮に建立した道場、妙顕寺竜華院に始まる、とされています。
実は、妙顕寺の創建も1321年(元享元年)とされ、四条大宮の地には妙覚寺があったこともあり、このあたりの情報の正しさはあまり確証がないところではあります。
1413年(応永20年)に妙顕寺が破壊され、1416年(応永23年)に妙顕寺の故地である四条櫛笥に日実上人が本応寺を建立し、それが立本寺になったことは間違いないようですが、その背景には本寺の妙顕寺の跡継ぎ争いがあったようで、おそらくは本応寺の建立をもって立本寺の建立とみた方が良いように思われます。

そんな跡継ぎ争いはあったものの、当時の法華宗は京都でとても勢いがあり、立本寺も栄えましたが、天文の法難で焼け落ち、さらには秀吉の命で京極今出川の東北に移転となります。
その後、三度の火災に見舞われ(1661年(寛文元年)の大火から再興したのが説法で有名な日審上人で、この特別拝観では、一生のうちに十万もの曼荼羅を書いた日審上人の曼荼羅のうちの一つを見ることができました)、さらに宝永の大火(1708年(宝永5年))での罹災を期に、現在地に移転して伽藍を整備し、現在に至っています。


立本寺は、本堂などの伽藍配置が近世日蓮宗本山の寺観を良く伝え、また、京都市指定名勝となっている庭園があります。
特に、今般初めて公開された京都市指定名勝の庭園を中心に、立本寺を紹介していきます。


こちらは立本寺の本堂です。
ryuhonji00.jpg
本堂は移転後なかなか再建されず、1745年(延享2年)頃に再建されました。

本堂の柱などには装飾が施され、また、須弥壇の裏には渡辺始興の十六羅漢図が置かれています。
ただ、何よりこの界隈の日蓮宗寺院には珍しく、天明の大火で焼けなかった(立本寺は天明の大火の西限である千本通より西にあるために難を逃れた)という建物です。


立本寺の庭園は客殿にあります。
作庭時期は1850年(嘉永3年)頃で、作庭者は立本寺五十世日到上人です。

こちらは西庭です。
ryuhonji01.jpg
西庭は、五ヶ所に築山が配されていて起伏に富んだもので、築山やその他の園地内には石組や五輪塔、灯籠などが配されています。

同じく西庭です。
ryuhonji02.jpg
西庭は南北に長く、見る場所と角度によって、印象が全く異なってしまうのが一つの特徴になっています。

庭の中では、写真左のドウダンツツジ(立本寺では満天星躑躅と呼んでいます)の大木や右側の手水鉢が一際目を引きます。


こちらは、南庭です。
ryuhonji03.jpg
とはいえ、西庭とは渡り廊下を挟んで地続きになっており、庭の中央にはやはり築山があります。

南庭は、苔がびっしりと生えた庭で、特に梅雨時などは鮮やかな緑を見せてくれそうに思われます。

南庭も、視点を変えるとやはり、受ける印象が違ってきます。
ryuhonji04.jpg
実際にはさほど奥行きがない庭ですが、庭越しに本堂などが見え、実際以上に奥行きを感じる造りになっています。

立本寺の特別拝観は大変見どころが多く、時間の関係でやや駆け足気味になってしまったことが少々残念です。また機会があれば、立ち位置を変えながら庭の様々な顔をじっくり見てみたいところです。


2006年10月29日拝観(京都市文化観光資源保護財団主催「立本寺の文化財・名勝庭園を訪ねて」特別公開)


−立本寺の概要−
寺号:具足山立本寺
宗派:日蓮宗
拝観:通常時は境内自由
住所:京都市上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町107

−立本寺への行き方−
京都市バス6、8、10、46、50、55、201、206系統で、「千本中立売」バス停下車、徒歩10分
・京都市バス8、10、50、51、55、203系統で、「上七軒」バス停下車、徒歩10分
タグ:京都
posted by karesansui at 00:35| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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