2006年07月29日

京都の路地裏で「番外編」・相国寺瑞春院

「番外編」の第8回は、相国寺の塔頭・瑞春院(ずいしゅんいん)を取り上げます。

相国寺瑞春院は、相国寺ホームページの記述によれば、足利義満が相国寺第4世の太清宗渭(たいせいそうい)を迎えるために、その禅室として造った「雲頂院」を、僧録司の権威とされる亀泉集證(きせんしゅうしょう)が造った「瑞春軒」が併合して瑞春院としたものです。
天明の大火で建物を失った後、1845年から1849年の間(弘化、嘉永年間)に再建され、一旦客殿を棄却した後に1898年(明治31年)再建して、現在に至っています。

瑞春院は、殊に故・水上勉氏の「雁の寺」のモデルになったことで良く知られ、本堂上官の間(雁の間)に雁が描かれた襖絵が残っています。
ただ、水上勉氏は修行中の小僧であったために、上官の間に入ることはなかったとのことで、孔雀の襖絵を雁と勘違いした、という話を今回の拝観の解説で伺いました(事の次第は定かではないですけれども)。

瑞春院は、室町期の石組が残る枯山水の南庭と、比較的新しい池泉回遊式の北庭があります。
その二つの庭を中心に、瑞春院を紹介していきます。


こちらは、南庭と北庭の間、本堂の東側に当たる部分です。
zuishunnin01.jpg
この奥の石組を本堂の意匠を凝らした火頭窓から見ることができます。これがなかなか見事です。

同じ石組を北側からみたものです。
zuishunnin02.jpg
こちらも北庭と同じく、近年整備されたと思われますが、石組から受ける印象は、近年のものというよりはかなり古いものを思わせます。

こちらは北庭です。
zuishunnin03.jpg
北庭は、庭園研究家の故・村岡正氏が夢窓疎石の作風を取り入れて作庭した池泉回遊式の庭園です。

正面の茶室が「久昌庵」です。
表千家の「不審菴」を模したもので、数奇屋建築で名高い諸富厚士氏によるものです。
また、その左に見える書院「雲泉軒」も、諸富厚士氏の建築です。

北庭の東側です。
zuishunnin04.jpg
三段落としの滝から流れる水はやがて心字池に入ります。
このような池の意匠もやはり、鎌倉時代の晩期から室町時代初期にかけてよく見られた手法で、夢窓疎石も西芳寺(苔寺)や等持院の庭園を作庭した際に、心字池を築いています。

こちらは、久昌庵の待合にある水琴窟です。
zuishunnin05.jpg
水琴窟は、もともとは小堀遠州が考案したとされる「洞水門」が起こりで、後に庭園の一部として拡がっていったものです。
瑞春院では、もともと「洞水門」が蹲に併設された排水設備であったという説に倣って、茶室の前の蹲に水琴窟を置いています。

最後に、南庭です。
zuishunnin06.jpg
この南庭は、室町期に作庭されたものといわれていて、9つの石組からなっています。それぞれが三尊石組を形成していて、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来を表すとされています。
瑞春院の本尊は、禅宗には大変珍しい阿弥陀如来像で、この寺全体が禅宗らしくない印象を受けやすい一要素になっていますが、この南庭はそれだけではなく様々な解釈が成り立ちそうで、いかにも禅宗らしい庭園ではないかと思います。


瑞春院には様々な考え、思想に基づいて作られたものがありますが、それを自然と一つに包み込んでいるというのはなかなか難しいことであって、それがこの瑞春院の魅力なのではないかと思われます。


2006年7月25日拝観(京都市観光協会主催・第31回京の夏の旅キャンペーン特別公開)


−瑞春院の概要−
宗派;臨済宗相国寺派
住所:京都市上京区相国寺門前町701

−瑞春院への行き方−
京都市営地下鉄烏丸線今出川駅から徒歩5分
京都市バス51、59、102、201、203系統で、「烏丸今出川」バス停下車、徒歩5分
タグ:京都
posted by karesansui at 19:57| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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