2009年10月25日

若年寄の諸国で侘び寂び:医光寺

全国展開の十五回目は、前回の萬福寺と同じく益田にあり、雪舟作庭とされている庭園がある医光寺(いこうじ)を取り上げます。

現在の医光寺は、1363年(正平10年)に崇観寺という名前で現在地の西に建立された寺院を始まりとしています。崇観寺は東福寺の法系、竜門士源を開山としていますが、その後は天台宗の寺となっていました。
そして、1478年(文明10年)から雪舟が益田に滞在したときは、崇観寺の住職となっています。

医光寺は崇観寺の塔頭として建立されましたが、当時の益田氏当主・益田宗兼は医光寺への保護を厚くしたことから医光寺が栄えて崇観寺が衰え、最終的には崇観寺が火災に遭ったのを期に、医光寺に合併されてしまいました。

その後、1729年(享保14年)の大火で焼けてしまい、その後建物が再建されて現在に至っています。


医光寺には、雪舟作庭と伝えられている庭園があります。
萬福寺常栄寺とは雰囲気の異なるものであり、その違いも踏まえながら、医光寺を見ていきたいと思います。


医光寺に着くとまず目に付くのが「総門」です。
ikoji01.jpg
至近にあった七尾城の大手門を移築し、屋根を竜宮造に改造したものとされています。

その他の建物はすべて、享保の大火の後に再建されたものです。
ikoji02.jpg
ikoji03.jpg
総門と比べると、いかにも新しいようにも見えますが、これでも250年以上経過しています。


さて、こちらが「医光寺庭園」です。
ikoji04.jpg
これだけ見ると、刈込と枝垂桜が主体の、江戸時代中期の庭園のように見え、常栄寺や萬福寺と同じ作者の庭園とは思えません。

しかし、実際には鶴をかたどった池と亀島を主体とする池泉式の庭園です。
ikoji05.jpg
単に亀を模っただけではない、中心石や三尊石を擁した亀島は、この庭を近年の庭と隔てる何かを感じさせてくれます。

そして、須弥山石とそこから落ちる枯滝石組は、常栄寺の竜門之滝の石組につながるものがあります。
ikoji06.jpg
これもまた、江戸期以降にはあまり見ない様式であって、この庭の時代性を感じるところでもあります。

とはいえ、実際にはこの庭は、享保の大火のあと「復元」されたと伝えられています。
ikoji07.jpg
加えて、雪舟が作庭したのは崇観寺の庭園であって、現在の医光寺がある場所にあったのかどうかは定かではありません。
地割も含めて当時のままなのかそうでないのか、枝垂桜はいつからあるのかなど、興味は尽きないところでありますが、雪舟の頃の様式が色濃い石組などは、この庭のルーツが室町時代にあるということを充分に伝えてくれていると思いますし、それで充分ではないかと思うところはあります。


−医光寺の概要−
正式名称:瀧蔵山医光禅寺
宗派:臨済宗東福寺派
拝観料:300円
拝観時間:8:30-17:00
住所:島根県益田市染羽町4-29


−医光寺への行き方−
JR西日本益田駅より石見交通バス「益田医光寺」行に乗り、「益田医光寺」バス停下車、徒歩1分

ラベル:島根
posted by karesansui at 22:45| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。