2009年10月10日

若年寄の諸国で侘び寂び:萬福寺

全国展開の十四回目は、山口の常栄寺と同じく雪舟作庭と目されている庭園がある萬福寺(まんぷくじ)を取り上げます。

萬福寺は、平安時代に天台宗の「安福寺」として創建されたと伝わっています。
その後、1026年(万寿3年)の大津波で被災して堂宇が流失し、それを1319年(元応元年)に遊行4代呑海上人が再興したことで、時宗の寺となりました。
1374年(応安7年)には、この地を治めていた益田兼見によって現在の地へ移転され、名称も「萬福寺」に改称されました。
1478年(文明10年)、益田兼尭の招きによって雪舟がこの地を訪れ、翌1479年(文明11年)には萬福寺庭園を雪舟が作庭したとされています。
幕末には第2次長州征伐・益田口戦争の幕府方本陣となり、兵火で総門を焼失しましたが、幸いにも本堂などは無事であり、その本堂は1933年(昭和8年)に解体修理を受け、現在も移転当初の姿を見せています。

萬福寺は、前述の通り雪舟作庭の庭園と伝わる庭がありますので、これを中心にみていきます。


まず、「総門」をくぐります。
masuda_manpuku01.jpg
総門前の長い参道もまた印象的です。

本堂」は、益田兼見の寄進によって建てられたもので、1374年(応安7年)の移転当初のものと伝わっています。
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鎌倉時代の様式を随所に遺す、簡素な外観です。


その本堂の裏に、「萬福寺庭園」があります。
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須弥山式の池泉庭園で、心字池と築山を中心に多数の石が配されています。
須弥山に対して手前の礼拝石から臨むという形式になっています。

須弥山に向かって右側は、枯滝や蓬莱石が配されています。
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枯滝は絵画的でもあり、常栄寺の龍門之滝に通ずるものがあるのではないかと思います。

須弥山石がある築山には、他にも座禅石や不老石、明王石といった石があります。
masuda_manpuku05.jpg
そして、心字池が枯滝から伸びて複雑な地割を構成し、素晴らしい眺めを作り出しています。

心字池は枯滝の反対側まで続き、ひときわ明るくなった側にいくつかの石組があります。
masuda_manpuku06.jpg
この明暗の使い分けも、この庭を見る際の一つのポイントとされています。

須弥山に向かって左側には、三尊石が据えられています。
masuda_manpuku07.jpg
中心の須弥山、右の枯滝、左の三尊石、その全体に広がる心字池が相まって、大きな須弥山世界を見せています。


常栄寺庭園と比べると多分に簡素で仏教色の強い庭園ですが、その様式は明らかに室町時代のものであり、作庭者が雪舟だったとしても不思議ではない巧みな石組と地割は、もしこの地を訪れたならば、必見だと思います。


−萬福寺の概要−
正式名称:清瀧山萬福寺
宗派:時宗
拝観料:300円
拝観時間:8:30-17:30(冬季は-17:00)
住所:島根県益田市東町25-33


−萬福寺への行き方−
JR西日本益田駅より石見交通バス「益田医光寺」行に乗り、「折戸」バス停下車、徒歩4分


ラベル:島根
posted by karesansui at 10:31| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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