2009年07月18日

若年寄の諸国で侘び寂び:国泰寺

全国展開の十回目は、高岡にある臨済宗国泰寺派の総本山、国泰寺(こくたいじ)を取り上げます。

国泰寺は、慈雲妙意(恵日聖光国師)によって、正安年間(1300年頃)に、現在地の南、二上山の地に「東松寺」として開創されたと伝わっています。
その後、後醍醐天皇の帰依を受け、1333年(元弘3年)に国泰寺と名を改めて、南禅寺と同格の勅願所に指定されています。
国泰寺は北朝の帰依も受けており、1345年(北朝貞和元年)には越中の安国寺に指定され、足利尊氏によって伽藍の修理や荘園の寄贈も受けました。

しかし、戦国時代に至って戦乱によって荒廃し、1546年(天文15年)に後奈良天皇の綸旨を受けて、現在地で再興されたと伝わっています。
その後、徳川綱吉によって法燈派総本山に指定され、享保年間には伽藍の大整備が行われました。
明治時代には廃仏毀釈の余波を受けましたが、山岡鉄舟の尽力もあり、伽藍の修理や再建が行われ、昭和に至ってさらに伽藍、庭園が整備されて現在に至っています。

国泰寺は北鎮第一禅刹としての顔のほうが有名ではありますが、昭和になって築造された庭園も充分に見応えあるものですので、紹介したいと思います。


まずは、趣きある参道を上がります。
kokutaiji01.jpg
質素な「総門」が、修行の場としての国泰寺のありようを示しているように思われます。

勅使門」です。
kokutaiji02.jpg
小さく目立たない門ではありますが、菊の御紋がこの寺の勅願所としての地位を示しています。

「三門」です。
kokutaiji03.jpg
享保年間の伽藍整備の際の建立と思われます。時代背景からか土地柄からか、あまり飾り立てられているような門ではありませんが、この屋根にも菊の御紋がついています。

その三門からすぐのところに、「龍渕池」(放生池)があります。
kokutaiji04.jpg
法堂を背景にした、一種の庭園のように見えます。

むしろ、単なる放生池ではなく、庭園として見るべきものなのでしょう(庭園と作者は同一です)。
kokutaiji05.jpg


こちらが国泰寺の主庭、「月泉庭」です。
kokutaiji06.jpg
巨石が立ち並ぶこの庭は、小川寿一氏の作です。
これらの巨石は、開山ゆかりの二上山の砂岩が使われ、最大で42トンにもなるといわれています。

庭園越しには、「大方丈」を臨みます。
kokutaiji07.jpg
大方丈もまた巨大な建築であり、禅の総本山らしいスケールと迫力を示しています。

そのような庭に似つかわしくない字面の「月泉庭」という名前がついたかなのですが、おそらくは開山国師の末期の句、「天に月あり、地に泉あり」からきているのでしょう。
kokutaiji08.jpg
そして、開山以来北陸で綿々と受け継がれ、今も参禅の地として門戸を開いているこの寺においては、厳しい禅のありようを示すこの庭が開山国師の言葉をその名前に持つことは、至極当然のことなのかもしれません。


−国泰寺の概要−
正式名称:摩頂山国泰寺
宗派:臨済宗国泰寺派
拝観料:境内無料
拝観時間:随時(開閉門時間不明)
住所:富山県高岡市太田184


−国泰寺への行き方−
JR西日本北陸本線、氷見線、城端線高岡駅から加越能鉄道バス守山経由氷見方面行で「国泰寺前」バス停下車、徒歩10分

タグ:富山
posted by karesansui at 22:49| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/123784522
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。