寺伝によれば、長岳寺は824年(天長元年)に淳和天皇の勅願によって弘法大師が近隣にある大和神社の神宮寺として創建されたとされています。
最盛期には塔中四十八ヶ坊を数えましたが、応仁の乱をはじめ兵火に見舞われることが度々あり、豊臣秀吉に寺領を没収された後、徳川家康に朱印地を安堵されるといった波乱ある歴史をたどっています。その後、廃仏毀釈の際も危機に見舞われましたが、民間の大師信仰で何とか存続を果たし、現在では12,000坪の敷地にいくつかの文化財を残す静かな寺となっています。
長岳寺は、庭園、建物、仏像などそれぞれに見所がありますが、ここでは庭園と建物に焦点をあてていきたいと思います。
こちらは「旧地蔵院」です。
四十八ヶ坊を数えた塔中のうち唯一残った遺構で、現在では庫裏となっています。
江戸時代初期(1630年(寛永7年))の建物ですが、室町時代の書院造の様式を残しており、特に屋根に特徴があります。
こちらは「旧地蔵院庭園」です。
旧地蔵院はもともとさほど大きなものではなかったようで、庭園も小ぢんまりとしたものです。
ただ、もともと上下の空間が広かったことから、このような小さな庭園としては珍しく、立体的な構成になっています。
それ故、一目で庭全体を捉えるのは難しくなっています。
特に、池を這う亀石組が特徴的です。
本堂へと向かう通路に見えるのが、「鐘楼門」です。
平安時代から残る門とされていますが、すべて平安時代のものだったら超国宝級でありますけれども、上階は平安時代のものですが、下階は桃山時代のものとのことです(国指定文化財データベースより)。
とはいえ、日本最古の鐘門としての独特の意匠はなかなか見られるものではないと思いますが。
本堂前の庭園は、このように古刹としての雰囲気を残す浄土式です。
もっとも、かつては池の規模などもさらに大きかったのかもしれませんけれども。
「本堂」は、さらに時代が下り、1783年(天明3年)の再建です。
ただ、内部に安置されている諸仏は平安時代まで遡るものもあり、この寺の歴史を伝える生き証人のようなものになっています。
「五智堂」は、長岳寺から西に1kmほど行った飛び地境内の中にあるお堂です。
その形状などから「傘堂」などとも呼ばれるようですが、鎌倉時代からこのような建物が残り続けているというのは不思議なことに思われてなりません。
街道沿いにあることから、昔から参拝者の目印になったとは思いますが、それ以上の理由については考えることができません。
加えて、長岳寺には伝狩野山楽筆の地獄図があります。
秋にはこの絵が公開されますので、建物、庭園と併せて是非一度ご覧になることをお勧めします。単に珍しいというだけではない、今にも通じるメッセージがある絵だと思いますので・・・。
−長岳寺の概要−
正式名称:釜の口山長岳寺
宗派:高野山真言宗
拝観時間:10:00-17:00
拝観料:300円
住所:奈良県天理市柳本町508
−長岳寺への行き方−
・JR西日本桜井線柳本駅から徒歩20分
・JR西日本桜井線、近鉄電車天理線天理駅、またはJR西日本桜井線、近鉄電車大阪線桜井駅から奈良交通60、62系統で「上長岡」バス停下車、徒歩5分
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