2008年05月25日

京都の路地裏で:建仁寺両足院

「京都の路地裏で」も、とうとう80回を数えてしまいました。
その80回目は建仁寺両足院(りょうそくいん)を取り上げます。

両足院は、建仁寺第35世龍山徳見禅師を開山として創建された建仁寺の塔頭で、創建当初は「知足院」という名前でした。
それが天文年間の火災の後、知足院の別院だった両足院と併合して両足院と称するようになりました。この改称には、当時の天皇・後奈良天皇の名「知仁」を避けるためだったという説があります。

開山の龍山徳見禅師は変わった経歴を持っており、円覚寺で一山一寧についたあと、一山一寧の勧めで中国(当時は元王朝)へ渡り、一時は監禁の身になるなどの苦労を重ね、最後は元王朝から官寺の住持に任命され、また、中国で途絶しそうになっていた臨済宗黄龍派を復興させるまでに至りました。その後、在元40年にして帰国し、建仁寺、南禅寺、天龍寺の住持を歴任しました。

両足院は、饅頭の祖である林淨因と深い関係がありますが、これは龍山徳見禅師が帰国する際、禅師の弟子だった林淨因が、禅師を慕って日本までついてきたことによります。彼は奈良で饅頭を売り出し、彼の子孫が帰化して林家が続いたことで、現在の塩瀬総本家につながっています(塩瀬の歴史もご参照願います)。
林家からは(知足院との併合前の)両足院創建の文林寿郁(林淨因の曾孫)を始めとして、両足院の住持を輩出しています。

その後も両足院は建仁寺住持や、対馬にあって朝鮮との外交に当たった寺院「以酊菴」へ輪住した和尚を輩出するなど、建仁寺の中心寺院としての役割を果たして現在に至っています。


両足院には、江戸時代に作庭された3つの庭園と、それらとは別に坪庭があり、それぞれについて見ていきたいと思います。


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タグ:京都
posted by karesansui at 22:49| 京都 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする