2007年11月12日

京都の路地裏で:妙覚寺

「京都の路地裏で」79回目は、妙覚寺(みょうかくじ)を取り上げます。

妙覚寺は、山号を具足山といい、妙顕寺立本寺とともに三具足山と呼ばれています。
具足山という山号に共通される各寺はすべて日像上人が開山とされていますが、妙覚寺は実際には竜華院日実上人(立本寺の実質的な開山)によって創建されたようです。日実上人の院号「竜華院」から、北竜華とも呼ばれています。
立本寺も日実上人による関与があり(実質的な開山)、妙顕寺、妙覚寺ともども四条大宮が始まりの地とされていますので、当初より三具足山は近しい関係にあったことが間違いなさそうです。

その後、二条衣棚に移り、その地で他の京都にある日蓮宗の寺院と同じく天文法華の乱に遭い、焼失して堺に逃れています。
織田信長の頃には信長の宿舎の一つとなっていたようですが、本能寺の変で焼けたと伝えられています。
他の寺院ともども、豊臣秀吉の聚楽第造営にあたって現在地に移りました。天明の大火によって大門以外は焼けてしまい、伽藍を再築して現在に至っています。

妙覚寺は庭園「法姿園」が素晴らしく、この庭園を中心に紹介したいと思います。


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2007年11月11日

京都の路地裏で:高台寺圓徳院

「京都の路地裏で」第78回目は、高台寺圓徳院(えんとくいん)です。

圓徳院は、もともとは豊臣秀吉の正妻・北政所(ねね)の終焉の地です。
現在の高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うために北政所が1606年(慶長11年)に創建したものですが、圓徳院の場所はもともと寺ではなく、高台寺の創建の前年、1605年(慶長10年)に伏見城の化粧御殿とその前庭を移築して、北政所の居館としたものです。

北政所はその居館で77歳の生涯を終えますが、これを北政所の甥に当たる木下利房が高台寺の塔頭に改め、木下家の菩提寺としたのが圓徳院の始まりとなります。

圓徳院は、木下家の庇護のもと特に衰微することなく、北政所の居館の客殿として建てられた現在の方丈や伏見城化粧御殿の前庭を残して現在に至っています。


圓徳院では、特に伏見城化粧御殿の前庭を移した方丈北庭が有名ですので、これを中心に紹介したいと思います。


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posted by karesansui at 23:02| 京都 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする