2007年08月09日

京都の路地裏で:青蓮院門跡

77回目は、青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)を取り上げます。

青蓮院は、もともとは比叡山にあった住坊「青蓮坊」を、平安時代末期に、鳥羽法皇が青蓮坊第十二代行玄大僧正に帰依して第七皇子をその弟子とし、比叡山ではなく京都の市中に殿舎を造営して青蓮院と改称したのが、その始まりとされています。
鳥羽法皇の帰依した行玄が青蓮院の第一世門主であり、第二世が鳥羽法皇の皇子・覚快法親王になります。この成り立ちから、青蓮院の門主は明治時代まで皇族か五摂家の子弟に限られていました。
親鸞や蓮如が青蓮院で得度を受けており、特に蓮如の時代は本願寺の衰微期で、本願寺は青蓮院の末寺になっていました。

その後、青蓮院は応仁の乱の兵火で荒廃し、江戸時代初期には徳川家康の知恩院造営に伴って、現在の知恩院のある場所全域を召し上げられましたが、徳川幕府はまた、青蓮院復興にも力を尽くし、宸殿を建立しています。

天明の大火の際には、焼けなかった青蓮院が御桜町上皇の仮御所となり、庭内の茶室・好文亭が御学問所として使われたりもしました。
しかし、1893年(明治26年)の火災で大部分の建物が失われ、その際には焼けなかった好文亭も、1993年(平成5年)に放火で焼けてしまいました。好文亭は、1995年(平成7年)に復元されています。
shorenin10.jpg

青蓮院は、このようにして建物は古のものをほとんど残していませんが、庭園は室町時代の相阿弥によるなど、いくつかありますので、その庭園を中心にみていきたいと思います。


続きを読む
タグ:京都
posted by karesansui at 23:28| 京都 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする