浄妙寺は、源頼朝の臣下にあって一族と同等の扱いを受けるほどの有力な御家人であった足利義兼が、1188年(文治4年)に行勇律師を開山に迎えて創建した「極楽寺」が始まりとされています。
創建当時は密教系(現在の真言宗系か)の寺院でしたが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子・月峯了然が住職となってから禅寺に改めた、とされています。ほぼ同じ時期(1257年頃(正嘉年間))に、寺名を現在の浄妙寺に改めています。
もっとも、開山の行勇律師も、栄西のもとで臨済禅を学び、後に寿福寺第二世住持になったとされていますから(寿福寺も密教系から禅宗に転じた寺院です)、浄妙寺にそもそも全く禅の影響がなかったということはできないのかもしれません。
栄西の頃は、禅が日本に入ったといっても、栄西が建立した当初の建仁寺が「三宗兼学の寺」であったように、禅宗は当時の仏教の中では一つの学問のあり方に過ぎず、蘭渓道隆が建長寺で初めて「禅の専門道場」を開いたのですが、浄妙寺の「宗派の変更」もちょうど同じ時期であり、蘭渓道隆の影響の強さがうかがい知れるところではあります。
浄妙寺はその後すぐに一旦荒廃したようで(火災があったかと思われます)、中興開基として足利貞氏(足利尊氏の父)の名前が出てきます。
1386年(至徳3年)の足利義満による「五山の制」で鎌倉五山の第五位とされた頃には、七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院があったということですが、その後火災や地震により衰微し、現在では本堂や総門などを残すのみとなっています。
浄妙寺には天正年間の頃に喜泉庵と呼ばれる茶室があり、僧が一同に茶を喫したということですが、その茶室が1991年(平成3年)に復興され、同時に庭園が造られました。その庭園を含めて浄妙寺を紹介します。
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