2006年12月31日

いざ鎌倉へ:第九回・浄妙寺

「いざ鎌倉へ」の第九回目は、浄妙寺(じょうみょうじ)を取り上げます。

浄妙寺は、源頼朝の臣下にあって一族と同等の扱いを受けるほどの有力な御家人であった足利義兼が、1188年(文治4年)に行勇律師を開山に迎えて創建した「極楽寺」が始まりとされています。
創建当時は密教系(現在の真言宗系か)の寺院でしたが、建長寺開山蘭渓道隆の弟子・月峯了然が住職となってから禅寺に改めた、とされています。ほぼ同じ時期(1257年頃(正嘉年間))に、寺名を現在の浄妙寺に改めています。
もっとも、開山の行勇律師も、栄西のもとで臨済禅を学び、後に寿福寺第二世住持になったとされていますから(寿福寺も密教系から禅宗に転じた寺院です)、浄妙寺にそもそも全く禅の影響がなかったということはできないのかもしれません。
栄西の頃は、禅が日本に入ったといっても、栄西が建立した当初の建仁寺が「三宗兼学の寺」であったように、禅宗は当時の仏教の中では一つの学問のあり方に過ぎず、蘭渓道隆が建長寺で初めて「禅の専門道場」を開いたのですが、浄妙寺の「宗派の変更」もちょうど同じ時期であり、蘭渓道隆の影響の強さがうかがい知れるところではあります。

浄妙寺はその後すぐに一旦荒廃したようで(火災があったかと思われます)、中興開基として足利貞氏(足利尊氏の父)の名前が出てきます。
1386年(至徳3年)の足利義満による「五山の制」で鎌倉五山の第五位とされた頃には、七堂伽藍が完備し、塔頭二十三院があったということですが、その後火災や地震により衰微し、現在では本堂や総門などを残すのみとなっています。

浄妙寺には天正年間の頃に喜泉庵と呼ばれる茶室があり、僧が一同に茶を喫したということですが、その茶室が1991年(平成3年)に復興され、同時に庭園が造られました。その庭園を含めて浄妙寺を紹介します。


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2006年12月26日

いざ鎌倉へ:第八回・報国寺

「いざ鎌倉へ」の第八回目は、報国寺(ほうこくじ)を取り上げます。

報国寺は、1334年(建武元年)に足利家時(足利尊氏の祖父)を開基として、開山に天岸慧広(仏乗禅師)を迎えて創建された、とされています。
しかしながら、足利家時は1284年(弘安7年)に自害しており、実際の開基は上杉重兼である、という説もありますが、実際のところは良く分かっていません(開山も開基も、亡くなった人を法嗣や子孫が追請するということは、時折見られるところです)。

報国寺が「竹の寺」または「竹寺」と言われる所以は、かつてあった休耕庵という塔頭の跡に孟宗竹が生えて竹林となり、それを整備して竹の庭として現在に至っているからです。

しかし、報国寺は竹の庭ばかりでなく、他にも庭がありますので、そこまで含めて取り上げたいと思います。


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posted by karesansui at 22:53| 京都 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 鎌倉(浄明寺・大塔宮) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月06日

京都の路地裏で:相国寺

71回目は、相国寺(しょうこくじ)を取り上げます。

相国寺は1382年(永徳2年)に時の将軍足利義満によって発願され、10年後の1392年(明徳3年)に完成した臨済宗相国寺派の大本山です。
開山は夢窓疎石ということになっていますが、夢窓疎石は所謂「追請開山」であり、実質の開山は春屋妙葩となります。これは、足利義満の請いに対して春屋妙葩が開山になることを「謙譲の徳が深いために」断ったからだとされていますが、春屋妙葩自身は足利義満の禅の指導者であり、政治との関わりがかなり深い人物であって、これを文字通りの「美徳」として受け止めることはあまりできないのではないかと思われます。

相国寺は創建後、2度の兵火と2度の失火で荒廃し、完全に再興なったのは西笑承兌和尚の時代(1585年(天正12年)から)になります。
その後、元和の大火と天明の大火で2度焼け(この際、法堂と浴室だけは残っています)、文化年間に方丈、開山堂などが再興されて現在に至っています。


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posted by karesansui at 23:16| 京都 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする