2006年11月12日

京都の路地裏で:醍醐寺

70回目は、醍醐寺(だいごじ)を取り上げます。

醍醐寺は、弘法大師空海の孫弟子、理源大師・聖宝が、874年(貞観16年)に創建したと伝わっています。
その際、地主神の横尾明神からこんこんと水が湧き出るこの山(醍醐山)を譲り受けたとされていますが、この水を醍醐水と呼び、その水が現在にも伝わっています。

当時の醍醐寺は笠取山(現在醍醐山と呼んでいる場所。現在笠取山と呼んでいる場所は醍醐山の南東約3km)の上にあり、修験道の修行場(霊場)として発展していきます。
現在の特に醍醐寺と呼ばれている領域は、後に醍醐天皇などが堂塔を建てていった場所です。

醍醐天皇以下三代の天皇の庇護の下、山上(通称・上醍醐)には薬師堂などが、山下(通称・下醍醐)には釈迦堂、五重塔などが建立され、大伽藍が完成しましたが、山下の伽藍は五重塔を残して戦火、火災などでことごとく焼け、山上の伽藍も荒れ果てていたところ、豊臣秀吉および豊臣秀頼によって伽藍が再建されました。
その後は特に戦乱の影響もなく、現在に至っています。


醍醐寺は、ユネスコの世界文化遺産に指定されるほど(ある意味世界的にも)有名な寺院ですが、例えば山上までも醍醐寺の一部であることや、秀吉の「醍醐の花見」が下醍醐だけではなく上醍醐に登る途中にある槍山の御殿まで桜が植えられ、秀吉がその御殿から見下ろすように花見をしたであるといった、醍醐寺の本当のことが意外と知られていないので、敢えて取り上げる次第です。


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2006年11月05日

京都の路地裏で「番外編」・立本寺

「番外編」の9回目として、立本寺(りゅうほんじ)を取り上げます。

立本寺は、日蓮宗三具足山の一つで山号を具足山といい(他の「具足山」は妙顕寺と妙覚寺)、日像上人が1321年(元享元年)に、四条大宮に建立した道場、妙顕寺竜華院に始まる、とされています。
実は、妙顕寺の創建も1321年(元享元年)とされ、四条大宮の地には妙覚寺があったこともあり、このあたりの情報の正しさはあまり確証がないところではあります。
1413年(応永20年)に妙顕寺が破壊され、1416年(応永23年)に妙顕寺の故地である四条櫛笥に日実上人が本応寺を建立し、それが立本寺になったことは間違いないようですが、その背景には本寺の妙顕寺の跡継ぎ争いがあったようで、おそらくは本応寺の建立をもって立本寺の建立とみた方が良いように思われます。

そんな跡継ぎ争いはあったものの、当時の法華宗は京都でとても勢いがあり、立本寺も栄えましたが、天文の法難で焼け落ち、さらには秀吉の命で京極今出川の東北に移転となります。
その後、三度の火災に見舞われ(1661年(寛文元年)の大火から再興したのが説法で有名な日審上人で、この特別拝観では、一生のうちに十万もの曼荼羅を書いた日審上人の曼荼羅のうちの一つを見ることができました)、さらに宝永の大火(1708年(宝永5年))での罹災を期に、現在地に移転して伽藍を整備し、現在に至っています。


立本寺は、本堂などの伽藍配置が近世日蓮宗本山の寺観を良く伝え、また、京都市指定名勝となっている庭園があります。
特に、今般初めて公開された京都市指定名勝の庭園を中心に、立本寺を紹介していきます。


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2006年11月03日

京都の路地裏で:東福寺即宗院

69回目は、東福寺即宗院(そくしゅういん)を取り上げます。

即宗院は、1387年(嘉慶元年)に、島津家の菩提寺として6代目当主の島津氏久によって建立されたものです。開山は剛中玄柔禅師(東福寺54世・志布志大慈寺2世)で、島津氏久が深く帰依していた人物ですが、当然京都ではなく、志布志で縁があったものと思われます。
現在の東福寺の敷地は、もともと藤原氏の氏寺「法性寺」があったところで(今の東福寺は「法性寺」の跡・・・というよりは、法性寺の寺域を乗っ取ってしまったようなものでしょうか)、その東北、ちょうど今の即宗院のあたりに、九条兼実の別荘「月輪殿」があったとされています。

即宗院はその後も島津家の庇護を受け、幕末には西郷隆盛と尊皇攘夷派の僧・月照を茶室・採薪亭(今は跡のみ残っています)にかくまったことでも知られています。
その後、明治から昭和にかけては衰微し、庭園も荒れていたそうですが、調査によって室町時代後期のものと判明し、修復・整備されるようになって現在に至っています。

即宗院の庭園は、作庭こそ室町時代後期ですが、ところどころに「月輪殿」だった頃の遺構を残し、特に地割に平安時代の寝殿造系庭園の原型があるとされています。
そんな即宗院の庭園を取り上げたいと思います。


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posted by karesansui at 21:38| 京都 ????| Comment(4) | TrackBack(0) | 京都(東山) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする