醍醐寺は、弘法大師空海の孫弟子、理源大師・聖宝が、874年(貞観16年)に創建したと伝わっています。
その際、地主神の横尾明神からこんこんと水が湧き出るこの山(醍醐山)を譲り受けたとされていますが、この水を醍醐水と呼び、その水が現在にも伝わっています。
当時の醍醐寺は笠取山(現在醍醐山と呼んでいる場所。現在笠取山と呼んでいる場所は醍醐山の南東約3km)の上にあり、修験道の修行場(霊場)として発展していきます。
現在の特に醍醐寺と呼ばれている領域は、後に醍醐天皇などが堂塔を建てていった場所です。
醍醐天皇以下三代の天皇の庇護の下、山上(通称・上醍醐)には薬師堂などが、山下(通称・下醍醐)には釈迦堂、五重塔などが建立され、大伽藍が完成しましたが、山下の伽藍は五重塔を残して戦火、火災などでことごとく焼け、山上の伽藍も荒れ果てていたところ、豊臣秀吉および豊臣秀頼によって伽藍が再建されました。
その後は特に戦乱の影響もなく、現在に至っています。
醍醐寺は、ユネスコの世界文化遺産に指定されるほど(ある意味世界的にも)有名な寺院ですが、例えば山上までも醍醐寺の一部であることや、秀吉の「醍醐の花見」が下醍醐だけではなく上醍醐に登る途中にある槍山の御殿まで桜が植えられ、秀吉がその御殿から見下ろすように花見をしたであるといった、醍醐寺の本当のことが意外と知られていないので、敢えて取り上げる次第です。
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