2012年12月31日

「他称若年寄の日々侘び寂びArchives」について

このBlogは、その昔存在していた他称若年寄の日々侘び寂び(リンク切れてます)の侘び寂び記事アーカイブBlogでしたが、もともと本家にしていたDoblogが「壊れちゃった」ので、こちらが本家になりました。
2012年は本業多忙につき、2、3ヶ月に1度まとめて更新することが多くなりそうです。


−最新の記事−
・「番外編」清浄華院の回を更新
・「番外編」高山寺遺香庵の回を更新



−編集・変更済み−


−今後の予定−
ゆっくりと全国展開の結果を書いていきたいと思います。
それと併せて、今後もネタ集めに奔走?したいと思います。
【関連する記事】
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2012年03月03日

若年寄の諸国で侘び寂び:根来寺

全国展開の23回目は、根来寺(ねごろじ)を取り上げます。

根来というと、どうしても戦国時代の僧兵のイメージを持ってしまいますが、もともとは興教大師・覚鑁(かくばん)が興した学問所などに由来しています。
覚鑁上人はもともと高野山に本拠を置いており、大伝法院を建立し、鳥羽上皇の庇護を受けてその一派は隆盛していましたが、覚鑁上人の真言宗建て直し、すなわち宗教改革に反発した高野山の他の一派が焼き討ちを行うに至り、1140年(保延6年)に覚鑁は高野山を下りて根来の地に落ち着きました。

その後、1288年(正応元年)に頼瑜僧正が大伝法院を高野山から根来に移したことで根来は学問都市として発展し、最盛期には300とも400ともいう数の子院が置かれましたが、次第にその性格は鉄砲集団へと変質し、近隣の雑賀衆ともども強力な鉄砲集団であったことから、豊臣秀吉の紀州攻めを招いてしまいます。1585年(天正13年)の秀吉による紀州攻めで根来寺はほとんどの建物を焼き払われ、しばらく復興されることはありませんでした。

その後、紀州徳川家の庇護のもので復興が進められ、主要な伽藍が江戸時代にかけて建てられて現在に至っています。


根来寺は国宝の大塔など、大伽藍に目が向きがちですが、名勝庭園を持つ寺でもあります。
そういった根来寺の側面にフォーカスを当ててみたいと思います。


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ラベル:和歌山
posted by karesansui at 21:52| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

京都の路地裏で「番外編」・清浄華院

今回の「番外編」は、第47回京都非公開文化財特別公開で公開された清浄華院(しょうじょうけいん)を取り上げます。

清浄華院はもともと、慈覚大師円仁が860年(貞観2年)に建立した禁裏内の道場が起源になっています。その後、後白河法皇によってこの道場が法然上人に下賜され、浄土宗の寺院となりました。
応仁の乱による荒廃もありましたが、豊臣秀吉の都市改造(寺を現在の寺町通周辺と寺之内通周辺に集めた等)によって移転し、現在に至っています。

清浄華院は浄土宗の寺であるにもかかわらず不動信仰があり(不動明王はもともと空海が日本に持ち込んだものであり、密教との関係が深い)、特別公開では泣不動尊像等、一連の不動信仰に関わる宝物等が公開されましたが、その一端で公開された庭園について触れたいと思います。


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ラベル:京都
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2011年11月03日

京都の路地裏で「番外編」・高山寺遺香庵

今回の「番外編」は、高山寺の茶室・遺香庵(いこうあん)を取り上げます。

高山寺は774年(宝亀5年)に光仁天皇の勅願によって創建され、1206年(建永元年)に明恵(みょうえ)上人によって再興された、真言宗系の寺院です。
明恵上人が栄西禅師が宋から持ち帰った茶をこの地に植え、さらに宇治等へ移し植えたことが茶の普及の発端となっていて、今でも11月8日に明恵上人献茶式が高山寺で行われています。

遺香庵茶室は、そのような明恵上人のお茶に対する功績に報いる意図で、明恵上人700年御遠忌にあたる1931年(昭和6年)に茶人・高橋箒庵(義雄)の呼びかけで造られました。
作庭は7代目小川治兵衛(植治)であり、彼の最晩年の作品とされています。


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ラベル:京都
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2011年07月23日

若年寄の諸国で侘び寂び:那谷寺

全国展開の22回目は、石川県の古刹、那谷寺(なたでら)を取り上げます。

那谷寺は、越の大徳と呼ばれた名僧・泰澄によって、717年(養老元年)に創建されたと伝えられています。その際に、霊夢に現れた千手観音の姿を彫って岩窟内に安置したとされています。
986年(寛和2年)、行幸された花園法皇が岩窟内の観音三十三身の姿を感じ、西国三十三箇所観音霊場の一番「那智山(青岸渡寺)」と三十三番「谷汲山(華厳寺)」の一字をそれぞれ取って、那谷寺に改名したとされていますが、真偽の程は不明です。

その後、南北朝時代に荒廃し、白山の修験者などによって何とか命脈を保ち、1640年(寛永17年)に前田利常の再興を得ます。そして三重塔や書院等、大半の伽藍がこの時期に再建され、現在に至っています。

那谷寺は前田利常に由来する名勝庭園を持ち、さらに数々の見所がありますので、順を追って見ていきたいと思います。


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ラベル:石川
posted by karesansui at 23:15| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の地域 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

京都の路地裏で:随心院

久々になった京都ネタですが、81回目は随心院(ずいしんいん)を取り上げます。

随心院はもともと牛皮山曼荼羅寺の塔頭として建てられた寺院です。
この牛皮山曼荼羅寺ですが、991年(正暦2年)に仁海を開基に建立された、真言宗の寺院です。
その後、1229年(寛喜元年)に後堀河天皇の宣旨によって門跡寺院とされ、この頃から随心院門跡と称されるようになったようです。

応仁の乱の際には境内が焼けてしまい、現在地に再興されたのは、1599年(慶長4年)になってのことでした。

随心院がある小野の地は、その名の通り小野氏の根拠地で、随心院も小野小町ゆかりの寺と名乗っています。
しかしながら、小野小町とはあまり関係がない庭園を中心にみていきたいと思います。


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ラベル:京都
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2011年05月28日

若年寄の諸国で侘び寂び:雲樹寺

全国展開の21回目は、安来のサツキ寺として知られる雲樹寺(うんじゅじ)を取り上げます。

雲樹寺は、1322年(元享2年)に弧峰覚明禅師(国済国師、三光国師)を開山として創建されました。
弧峰禅師は、もともとは比叡山で受戒して天台教学を学んでいましたが、のちに禅宗を学び、中国(当時は元)に渡って修行したという経歴を持っています。
そして雲樹寺を開いた後、隠岐に流されていた後醍醐天皇が船上山で挙兵したときに招かれ、「国済国師」の号と「天長雲樹興聖禅寺」の額を賜ったり、後村上天皇の帰依を受けて「三光国師」の号を賜ったりしています。

元禄の頃に伽藍の大修理が行われ、併せて現在の庭園が整備されましたが、1820年(文政3年)に伽藍の大半が火災で焼失し、後に再建されて現在に至っています。

雲樹寺といえばやはりサツキの庭園であり、それを中心に取り上げたいと思います。


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ラベル:島根
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2011年04月24日

若年寄の諸国で侘び寂び:瀧谷寺

全国展開の20回目は、福井県初の名勝指定を受けた庭園を持つ、瀧谷寺(たきだんじ)を取り上げます。

瀧谷寺は、1375年(永和元年)、紀州根来寺の睿憲上人によって創建されたと伝えられています。
以来、朝倉氏、柴田氏、松平氏等の歴代領主の祈願所となり、当時の繁栄の一部を今に伝えています。

瀧谷寺は歴史ある古刹であり、杉木立の「参道」は古の頃から変わらぬ姿を見せているとされています。
takidanji01.jpg
さらには、興味深い建築もありますので、庭園だけでなく広く見ていきたいと思います。


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ラベル:福井
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2011年03月19日

京都の路地裏で「番外編」・妙心寺海福院

今回の「番外編」は、第45回京の冬の旅非公開文化財特別公開で特別公開されている、妙心寺海福院(かいふくいん)を取り上げます。

海福院は、1616年(元和2年)に福島正則が夬室智丈和尚を開山として創建されました。
年代からして、大阪冬の陣、夏の陣での戦死者を弔う意図があったように思われます。
しかしながら福島正則はその後すぐに改易され、川中島で失意のうちに没していきます。そして一度は断絶し、甥が跡をついで旗本として存続して、というめまぐるしい変化が福島氏にはありました。

しかしながら海福院は、変わらず福島氏の菩提寺であり続け、福島正則の墓やゆかりの寺宝を残して現在に至っています。

海福院は「都林泉名勝図会」にその存在を書かれていて、狩野探幽の襖絵の逸話が書かれています(国際日本文化研究センターのwebサイト読むことができます)。
それによれば、「酒に酔った狩野探幽が、唐紙の襖に猿回しの絵を描いたために、住職が怒って狩野探幽が恥じ入った。ただ、その画は出来がよかったために、後世その寺の名物となった」というようなことだそうです。
そして、海福院の庭園を作ったのは、都林泉名勝図会や都名所図会などの作者・秋里籬島(あきざとりとう)といわれ、不思議なつながりを持った寺といえるでしょう。
ここでは、その庭園を中心に見ていきたいと思います。


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ラベル:京都
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2011年02月27日

京都の路地裏で「番外編」・建仁寺正伝永源院

今回の「番外編」は、第45回京の冬の旅非公開文化財特別公開で特別公開されている、建仁寺正伝永源院(しょうでんえいげんいん)を取り上げます。

長い名前ではありますが、もともとは「正伝院」と「永源庵」という2つの塔頭が併合されたものであり、正伝永源院は正伝院の流れを受けています。
正伝院は、普覚禅師を開山に南北朝時代に建立された塔頭で、1618年(元和4年)に織田有楽斎こと織田長益によって再興されたものです。国宝茶室「如庵」は、織田有楽斎が正伝院で建てた茶室です。
一方永源庵は、細川頼有の帰依を受けた無涯和尚を開山として現在の正伝永源院の場所に開創され、細川家の菩提寺となっていました。

明治の廃仏毀釈は永源庵を廃寺とさせ、正伝院をして如庵を売却させることとなりました。
正伝院は永源庵の地に移り、正伝永源院となって今に至ることとなりましたが、同時期に払い下げられた如庵は何回か移転を重ねることとなり、最終的に1972年(昭和47年)に名古屋鉄道によって名鉄犬山ホテルの現在地に移転され、現在に至っています。

正伝永源院では近年如庵の写しを建てることを企図し、1996年(平成8年)に如庵を、傷んだ部分も含めてそのまま復元した茶室ができました。
今回の公開では如庵も含めて、寺宝等が公開されていましたが、撮影可能だった庭園等を中心に紹介したいと思います。


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ラベル:京都
posted by karesansui at 23:09| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都(洛中) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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