全国展開の九回目は、早太郎伝説や桜で知られ、また、境内全体が国指定の名勝に指定されている
光前寺(こうぜんじ)を取り上げます。
光前寺は、860年(貞観2年)に本聖上人によって創建された、南信州随一の古刹です。本聖上人は慈覚大師円仁の弟子と伝えられ、以後、一貫して比叡山延暦寺の末寺として現在に至っています。
早太郎伝説とは、以下のようなものです。
昔むかし、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われていました。
その頃、遠州(静岡県)見付村では、田畑が荒らされないようにと毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、いけにえにとして神様にささげる人身御供という悲しい習わしがありました。
ある年、村を通りかかった旅の坊様は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見とどけようと、祭りの夜に様子をうかがっていると、大きな怪物が現れ、「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」などと言いながら娘をさらっていってしまいました。
坊様は早太郎に助けを求めようとすぐ信州へ向かい、光前寺の早太郎をさがし出すと借りて急いで見付村へと帰りました。
次の祭りの日には、早太郎が娘の身代りとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。
早太郎は傷つきながらも光前寺までたどりつくと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高くほえて息をひきとってしまいました。(光前寺webサイトより)
このような伝説(話)は、怪物との対決があったとされる磐田市近辺にもあり、そちらでは「悉平太郎」と呼ばれているそうですが、いずれにしても同じような伝説が多く残されているのは不思議なことだと思います。
では、なぜ光前寺がこの伝説の舞台の一つとなったのかですが、それは光前寺の歴史の長さにあるのでしょう。各地で伝説になるほどの寺というものは、相応に知名度がなければなりませんし、ましてや静岡県西部にまで名前が知れているとなるとなれば尚更でしょう。
そして、光前寺全体が庭園として指定され、その中にあっても古い庭園が庭園として残っている、ということもまた、光前寺の歴史の一つというべきものと思います。
そういうわけで、ここでは特に、光前寺の庭園を中心に書いていきたいと思います。
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posted by karesansui at 23:22| 京都

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